橋本裕の日記
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これまでの2回の議論をまとめておこう。文の成分をA,B,C、・・であらわすと、英文の場合は、先頭にS(主語)がきて、次のようになる。
S A B C D E F
英文の場合はこの語順には規則があり、自由に交換ができない。日本文の場合は最後にくるV(述語)のほかは、比較的自由に位置を交換することができる。
A B C D E F V
B A D F E C V
など、いろいろなバリエーションができる。これをまとめて次のように表す。
A B C D E F −−−−−−−−−− V
つまり、日本文の姿を、述語を下部構造にもち、その上に補語群が並立する二階建と考えるわけだ。このモデルが日本語の実情を反映しているならば、私たちが日本語を学んだり、外国人に教えるのに役立つに違いない。とりあえずこのモデルによって、日本文のいくつかの基本文型について見てみよう。
1.<名詞文:〜です>
(私)は ーーーーーー (教師)です
2.<形容詞文:〜しい>
(花)が ーーーーーー (美)しい
3.<形容動詞文:〜です>
(風)が ーーーーーーーー (さわやか)です
4.<存在文1:〜あります>
(机の上)に (本)が ーーーーーーーーー あります
(机の上)に (新聞)が (畳ん)で ーーーーーーーーーーーーーーー あります
ここで( )の中にいろいろな単語が入る。「ある」という動詞をテーブルに見立て、「に」と「が」という格助詞のお皿がいつも置かれていると考える。そのお皿の上に、名詞を入れるわけだ。皿はからっぽのままでもよい。
つまり、「ある」という動詞が与えられたときは、テーブルの上に場所をあらわす「に」と、「主格」をあらわす「が」や「は」を補語の受け皿として置かなければならない。これは「ある」という動詞の「下から上への」圧力である。
逆に、「机の上に本が」という上部構造が決まると、そこから下に圧力がかかる。そして「あります」という動詞が誘導される。このようにして上下の圧力(吸引力)によって文が統一される。日本文を「主語」中心というのが間違いであるのと同様に、単に「述語中心」とばかり強調しすぎるのもまちがいである。補語群によって動詞が誘導される働きは軽視できない。
5.<存在文2:〜います>
(裏庭)に (犬)が ーーーーーーーーー います
(裏庭)に (犬)が (寝転ん)で ーーーーーーーーーーーーーー います
「ある」は「生る」が原義だが、現代語では「存在する」といういう意味で使われる。「窓がある」「存在意義がある」など、おもに無生物や抽象的な存在について使われる。「いる」は「座る」が原義で、「そこにじっと逗留している」という意味がある。「イヌがいる」「人がいる」など、おもに生物や人間の存在について使われる。
6.<自動詞文:〜します、しています>
(私)が (川)に ーーーーーーーーーー 行きます
方向・場所をあらわす<に>は<へ>で置き換わる。ただし、<川に行く>というのは、英語の<go to>で、確実に川に到達するという意味である。<川へ行く>の場合は、英語の<go for>の場合に近く、方向性のみを表している。<彼は川にいる>とは言うが、<彼は川へいる>とは言えない。
7.<他動詞文1:〜をします>
(私)が (あなた)を ーーーーーーーーーーーー 愛します
8.<他動詞文2:〜に〜をします>
(日曜日)に (喫茶店)で (私)が (あなた)に (友人)を ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 紹介します
(日曜日)に (喫茶店)で (私)が (あなた)を (友人)に ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 紹介します
「あなたに紹介する」と「あなたを紹介する」の違いは微妙なので、また別に考察しよう。このほか、受動態や使役形など、さまざまな文型が考えられる。
(今日の一首)
遠くより訪れしものあり夜もふけて 文を読みつつ在りし日思ふ
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