橋本裕の日記
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2007年01月04日(木) 正月の恒例行事

 正月3日間が終わった。3日目の昨日は、じつにおだやかな快晴だった。木曽川の河原まで散歩の足をのばして、川の流れを眺めたり、ススキの原を眺めたりした。上空を鳶が舞っていた。妻がすでに河原に来て、餌をやったあとのようだった。一足違いで、妻の姿はみえなかった。

 そのあと、帰ってきた次女をのせて、妻の運転で、名古屋にある妻の実家に年始の挨拶に行った。途中、長女のアパートによって、彼女を拾った。長女は夜勤明けで眠そうだった。後部座席に私と並んで座ると、すぐに眠り始めた。4日連続の勤務だったが、病院の事情で、もう一日伸びて、翌日も勤務しなければならなくなったという。看護婦というのは大変な仕事だと思った。

 隣で眠っている長女を見ているうちに、私も睡魔に襲われてうつらうつらした。気がついたときに庄内川の堤防を走っていた。毎年正月にはこの河原に来て鳥たちにパンくずをやるのが我が家の恒例だった。伊勢物語で有名な都鳥(ユリカモメ)がたくさんいた。パンの切れ端を空中に投げ上げると、何十羽もが頭上を乱舞する。壮観な眺めだった。

 名にし負はばいざこと問はむ都鳥
 わが思ふ人はありやなしやと

 ところが、最近その数が少なくなった。今年はほとんどその姿を見かけない。正月の恒例行事も去年までということになった。こうして自然が少なくなり、生き物の種類がどんどん減って行くのを身近に見るのは、人間にとってのオアシスもなくなっていくようで、とってもさびしいものだ。

 妻の実家には昼ごろについた。この日は毎年すき焼きをすることになっている。用意ができるあいだ、義父が昭和7年に発刊された古い雑誌を見せてくれた。広告や漫画もあって、その時代の匂いを感じさせてくれる。アメリカに留学している高松宮殿下のエピソードや、そのころの実業界や市井の様子もうかがえて面白かった。

 義母は公園の近くの廃屋に棲んでいる子猫のことを気にしていた。散歩の途中餌をやっているらしい。できたら家に引き取りたいのだという。じつは先日、義母と妻はその公園へ猫をつかまえに行ったらしい。餌をやったあと捕まえようとしたら、子猫が死にもの狂いで暴れだし、妻は軍手をしていたにもかかわらず、何ヶ所も傷を負った。妻はもう猫を捕まえるのはこりごりだという。

「そんな猫、捕まえてきても、懐きはせんよ」と義父がいうが、「そんでも、かわいそうだし、とってもかわいいんだから」と義母はまだその野良猫に愛着があるらしい。義父は「猫が欲しいのならペットショップで買ったら」といい、娘たちは「保健所に行って処分前の捨て猫をもらったら」いうが、義母は毎日餌をやっていたその子猫が欲しいのだという。しかし、捕獲に失敗してからは、その子猫はさらに用心深くなった。もう捕獲するのは無理かもしれない。

 義母は今年80歳になる。義父も84歳だ。それでも毎週3日間、自宅で木彫り教室を開いている。そして毎年、名古屋市博物館で「木彫り展」を開いている。好きなことがあると、気分に張りができて、いつまでも元気でいられるのだろう。

 私が最近お邪魔するようになった掲示板がある。「日々の賀状」(A HAPPY NEW DAY)という名前だ。毎日が新しい日々であり、「あけましておめでとう」だと言う。こうした気持ちで生きることができれば、人間いくらでも幸せになれる。ちなみにこの素敵な掲示板の管理人は、私に「幸福になるための5つの秘訣」を教えてくれたkeizoさんである。他にもこんな「5つの秘訣」を教えてもらった。

 かっかせず(冷静)
 気にもせず(楽天)
 苦にもせず(忍耐)
 怪我もせず(慎重)
 懲りもせず(不屈)


 はじしのび(忍辱心)
 ひとりたち(独立心)
 ふりむかず(向上心)
 へいぜんと(平常心)
 ほがらかに(明朗心)

http://8105.teacup.com/happynewday/bbs

(今日の一首)

 凧あげてパン屑やりしユリカモメ
 庄内川もさびしくなりぬ


橋本裕 |MAILHomePage

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