橋本裕の日記
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2006年12月29日(金) 古英語は日本語に似ていた

 世界にはたくさんの言語がある。それらの言語は歴史を持っている。時間とともに語彙や、時には文法までも変わっていく、。英語も当然、さまざまに変化してきた。そしてとくにその変化が激しいのが英語である。渡辺昇一さんは、「英文法を撫でる」のなかで、「チョーサーは霧の中、ベオウルフは濃霧の中」と書いている。

 ベオウルフは8世紀に書かれた英語の叙事詩だが、これはもうネイティヴでも読めない。たとえば、こんな具合である。金谷武洋さんの「英語にも主語がなかった」(講談社選書メチエ)から引用させていただく。

 se hlaford pone cnapan binds.
 (主人が召使を縛る)

 これは現代英語にそのままなおせば、「The lord the servant binds.」である。ただし、語順が違っている。「SVO」ではなしに、「SOV」になっている。じつはこのころの英語は動詞が最後に置かれることが多かった。つまり、日本語と同じなわけだ。さらに付け加えれば、この頃の英語は、Vばかりではなく、SとOの語順も自由だった。この点も日本語と似ている。

pone cnapan se hlaford binds.
(召使を主人が縛る)

 SとVを入れ替えても混乱が生じないように、日本語には助詞の「が」「を」がある。英語では定冠詞や名詞が語尾変化をする。この例題でも、現代英語なら[the」ひとつですませるのに、主格を表す「se」と目的格をあらわす「pone」とそれぞれ違っている。じつのところ、この頃の英語は16個もの定冠詞をもっていたそうだ。(これは大変なことだ)

 英語が大きく変わるきっかけになったのは、1066年の「ノルマンの征服」によってだといわれている。イングランド王エドワードが死ぬと、甥に当たるノルマンディー公ウイリアムがフランスから1万5千人もの人間を引き連れて、イギリスにやってきた。以来、300年ほどイギリスはフランス人に支配される。

 フランス語が上流階級の言語になり、英語は社会の底辺においやられた。つまり、英語は教養のない人たちが会話で用いる片言の田舎言葉になったわけだ。そうなると、複雑な文法は覚え切れない。英語がどんどん簡素化した。ところが14世紀になって英仏100年戦争が始まった。この戦争でイギリスはフランスから独立し、英語が議会でも再び使われるようになった。

 さらに1500年頃になると、イギリスにもルネッサンスの波が押し寄せてくる。ヘンリー8世(1509〜1547)、エリザベス1世(1558〜1603)でチューダー王朝の支配が確立した。ノルマンの征服以前の英語を「古英語」(700〜1100)、そのあとを中英語(1100〜1500)、近代英語(1500〜1900)、現代英語(1900〜)と呼ぶ。「SVO」の語順が固定するのは中英語からである。これによって、定冠詞や語尾変化で主格や目的格を区別する必要はなくなり、英語は大いに簡素化された。

 SVOの語順については、次のような統計がある。中英語の時代を代表するチョーサー(1340〜1400)では84パーセント、近代英語を代表するシェークスピア(1564〜1616)では90パーセント以上がこの語順になっている。このようにノルマンの征服をきっかけにして、英語は大きくその姿を変えた。とくに「SVO」の語順が固定されたことは特質に値する。

 実のところ、いまだに世界の多くの言語は「SVO」ではない。意外なことかもしれないが、印欧語のなかでもこうした体制を整えたのは英語が最初である。ラテン語は動詞が最後に置かれているし、その流れを汲むスペイン語やイタリア語はいまでも動詞が最後に置かれる構文が一般的である。

 もっとも、英語がはじめて切り開いた「SVO」の直線的な構文は、非常に力強いパワーを秘めている。この英語の鋭角的なパワーが産業革命を生み、市民革命を生み出したとも考えられる。そして世界を征服する現代英語へとつながっていく。この言語力をあなどるわけにはいかない。

 明治期、英語文法を手本にして日本語文法が成立した。現在私たちは学校でこの文法を教えられている。ところがこれは「SVO」を主体にした「英語の文法」である。だから、この文法でいまだ「古英語」の段階にある日本語を理解することはできない。ただ、英語を勉強するとき、皮肉なことに「日本語文法」がいくらか参考になる。


橋本裕 |MAILHomePage

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