橋本裕の日記
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2006年12月28日(木) 主語を必要としない日本語

 高校時代に一番影響を受けた書物は、たぶん西田幾多朗の「善の研究」だろう。そのなかでも、「自我があって経験があるのではない。経験があって自我があるのである」という言葉には驚いた。これはデカルトの「我思う、故に我あり」とは対極に位置する思想である。

 西洋哲学は「自我」の哲学である。デカルトは「自我」を「思う」という意識的行為の中から取りだした。ここまでは西田の「経験あって自我がある」というのと同じである。しかし、デカルトはこうして取りだした「自我」を経験を可能にする実体として位置づける。ここで主客の転倒が行われるわけだ。

 しかし西田は「自我あればこそ経験があるのだ」という立場をとらない。経験こそがすべてであり、さらにいえば「自我」などなくてもよいのだ。西田は自我の概念を含まない経験を「純粋経験」と呼んだ。

 音楽家がピアノを演奏しているとき、そこで経験するのは何だろう。西田はそれは主もなく客もない世界だという。芭蕉が俳句を読むとき、あるいは宗教家が座禅を組むとき、そこに「我」というような夾雑物は存在しない。

 西田はこうした立場から、日本語の構造についても独創的な考えを展開した。西洋の言語は「主語」が中心で、日本語は「述語」が中心だというのだ。これを徹底すれば、日本語に「主語」はいらないということになる。

 私たちは普通に、主語のない日本語を使っている。たとえば道で人に会えば、「暑いですね」という。あるいは「どこへ行かれるのですか」と聞く。英語ではこうはいかない。「It is hot ,isn't it ?」「Where are you going?」と、主語を省くわけにはいかない。主語が中心の言語だからだ。

 英語は「SVOC」という直線的な構造をしている。Sが頭で、Vが胴体、OとCが2本の脚だと思えばよい。しかし日本語は違う。真ん中に胴体Vがあって、そのまわりに付属品のように頭や脚がくっついている。あるいは、Vという風呂敷の中に、SやOやCが包み込まれているのである。実例を挙げてみよう。

「私は昨日、家で英語を勉強しました」という日本語の文章は、「私は」「昨日」「家で」「英語を」の4つが「勉強しました」という行為を修飾している。だから、その語順を入れ替えてもよいし、場合によっては省略することもできる。英語ではこうはいかない。

「I studied English at home yesterday.」

 この語順は絶対であり、主語「I」を省くこともできない。英語の場合は「主語」は「動詞」をも支配し、語尾の変化を生じさせる。主語の力は絶大だといわなければならない。こうしたことは、日本語では考えられないことである。

 西田はこうした日本語の分析を通して、西洋哲学とはずいぶん趣の異なる独自の哲学を構築して行った。そしてその哲学はいやでも宗教的にならざるを得なかった。彼の思想の到達点が「場所的論理と宗教的世界観」といいう論文である。これは死の2ヶ月前、戦争が終わる4ヶ月前に書かれた、いわば西田の白鳥の歌ともいえる珠玉の論文である。一部を引用しよう。

<人間が何処までも非宗教的に、人間的立場に徹すること、文化的方向に行くことは、世界が世界自身を否定することであり、人間が人間自身を失ふことである。これが文芸復興以来、ヨーロッパ文化の方向であったのである。西洋文化の没落など唱えられるに至った所以である。

 世界が自己自身を喪失し、人間が神を忘れた時、人間はどこまでも個人的に、私欲的になる。その結果、世界は遊戯的か闘争的かとなる。すべてが乱世的となる。文化的方向とは、その極限に於いて、真の文化を失ふのである>

 日本人は別れを告げるとき、「さようなら」という。これは「左様にならば」であり、「なるがままに、あるがままに」ということであろう。出会いも別れも自然のまま、各々の計らいを捨てて、そうした流れにお互いが身を任せましょうということだ。まさに親鸞の「自然法爾」の世界である。

 じつのところ、こうした日本語の特性は世界で特殊なものなのだろうか。私は「日本語は世界で一番古い言語」だという仮説を持っている。そうすると、世界の言語もまた昔は「主語」をも持たなかった可能性がある。実のところこの推測は正しい。英語ですら、数百年前までは「主語」がなかったのだという。これについては、明日の日記で触れてみよう。

(参考文献)
「英語にも主語がなかった」 金谷武洋 講談社選書メチエ


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