橋本裕の日記
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2006年12月27日(水) 硫黄島の真実

 1945年2月19日に米軍の硫黄島上陸が始まった。アメリカ軍の兵力は6万1000人である。これを迎え撃つ日本軍は1/3の2万人余。しかも米軍は無数の戦艦と航空機1万6000機を投入。火力の差は10倍以上だった。

 硫黄島は東京から1000kmほど離れている。ここに敵の飛行基地ができると、首都の防衛があやうい。大本営のこの見解にしたがい、師団長の栗林中将(3/17に大将に昇格)も日本本土を空襲から守るために、一日も長く硫黄島を死守しなければならないと考えた。

 そのため「敵を10人殺すまで死ぬな」「最後の一兵になってもゲリラとなって戦え」と、2万の兵に安易な玉砕を許さなかった。そして陸軍の常套手段である水際作戦を取らず、島の至る所に深い塹壕を掘って、持久戦に持ち込んだ。このため「5日で落ちる」という米軍の読みはみごとに外れ、1ヶ月以上も続く大激戦になった。

 この1ヶ月あまりにわたる消耗戦で日本軍はそのほとんどの1万9900人が戦死したが、アメリカ軍も6821名もの戦死者を出すことになった。太平洋戦争最大の激戦といわれるゆえんである。

 栗林は3/25日、残存兵400を率いて、米軍の露営基地に奇襲をかけた。映画でも栗林は最後は兵の先頭に立って戦い、負傷する。そして拳銃自殺する。二宮君が演じる一兵卒が彼の最後に立ち会い、シャベルで穴を掘って遺体を埋める。

 この最後のシーンは栗林を演じた渡辺謙さんのアイデアだったようだ。クリント・イーストウッド監督は、栗林を武士らしくハラキリさせようと考えていたらしい。

 実際の栗林はどうだったのか。目撃者の証言によると、最後の戦いでは白襷をして兵の先頭に立ったという。しかし、彼の最後を実際に目撃した人はいない。栗林は途中で腿を負傷したらしいという証言はあるので、そのあと、拳銃で自決したのかも知れない。

 いずれにせよ、師団長が先頭に立って戦うということは前代未聞である。最高指揮官は最後尾にいて、敗戦を覚悟すれば静かに名誉の自決をする。こうした帝国軍人の常道をとらず、栗林は自ら最前線の戦場で死ぬことを望んだようだ。

 生存者の証言によると、身分を表す徽章もサーベルも外していたというから、戦死しても敵の大将だと米軍に知られることはなかっただろう。栗林はあえて「一兵卒」として戦死する道を選んだのかも知れない。

 大本営は激戦のさなか、2/28に硫黄島に向けて感謝の放送をする。映画でもこのエピソードが紹介されていた。栗林のふるさとである長野県松代の子供たちが歌う歌声がラジオの電波に乗って流れてくる。栗林を演じる渡辺謙がそれにじっと耳を傾ける。家族思いで子煩悩だった彼は万感胸に迫る思いだっただろう。

 このラジオ放送は内地にも流れたのだろう。当時軍国少年だった人たちも、これを聞いたのではないだろうか。当時の国民が硫黄島陥落のニュースを、どういう思いで聞いたのか興味がある。

 アメリカを震撼させたこの硫黄島での日本軍の驚異的な粘りは、栗林の秀逸な作戦の成果と言えるだろう。しかし、兵に安易な玉砕を許さないのは、ヒューマニズムではない。あくまでも「敵兵を一人でも多く倒すべし」という戦場における冷徹な計算によるものである。

 ある意味で「最後まで生きよ」というのは、食料もなく水もない兵卒にとって、バンザイ突撃の玉砕よりもつらく苦しいことであったに違いない。考えようによっては、栗林は鬼将軍である。こういう非情さが映画では描かれていない。栗林を人間味のある名将として美化している。この点は少し不満である。

 栗林は硫黄島を死守することが本土を守ることだと考えていたが、じつはグアムを飛び立った米軍機の大編隊が、硫黄島の近くをかすめて、3/10に東京を焼け野原にしている。そして10万人ともいわれる市民が犠牲になった。これを栗林はラジオで聞いて知っていたはずである。

 栗林の近くにいた人の証言では、この頃、栗林は生気をうしなっていたという。「好々爺のように弱々しく、まるで子供たちに手を引かれるように歩いていた」という証言が残っている。こうした挫折感に満ちたエピソードも映画では描かれてはいない。

 硫黄島が陥落すると同時に、今度は沖縄に米軍が押し寄せてきた。そしてここで、民間人を巻き込んださらなる悲劇が繰り返される。沖縄守備隊の司令官の頭に「硫黄島に負けるな」という思いがなかったはずがない。

 軍部の上層部は硫黄島での驚異的な粘りを国民の戦意高揚の宣伝にした。さらに本土決戦にもちこめば容易に負けないという無謀な作戦の支柱にさえなった。そのために栗林の大本営あての最後の電文にまで手を加えて、新聞に発表している。

 イーストウッドの「硫黄島からの手紙」はたしかにこれまでの戦争映画の水準を越えた秀作だと思うが、それだけに軍人精神や武士道賛美といった胚珠を育てかねない危険な面を持っている。

 いずれにせよ、この映画を見て「硫黄島の真実」がわかったような気になるのは危険である。実際に硫黄島で戦い、重症を負って九死に一生を得て帰還したした人たちが少なからずいる。

 「硫黄島からの映画」を見た人には、たとえば次の記録にも目を通してほしい。実際に硫黄島で戦った人の赤裸々な記録である。これを読めば、「映画」とはまた違った硫黄島の真実が浮かび上がってくるかも知れない。

「祖父の硫黄島体験記」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~iwojima/index.html 

「戦争体験記・南方篇」(含む硫黄島)
http://www.geocities.jp/sato1922jp/nanop.htm


橋本裕 |MAILHomePage

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