橋本裕の日記
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一昨日の12日の午前中に、福井の弟から「母が入院したが、容態が思わしくない」という電話があった。母はC型肝炎の治療のために今年の春からインターフェロンを使った治療をうけていた。2週間ほど前にその投与を受けた直後から様子がおかしくなり入院していたらしい。
「兄さんが心配するといけないから絶対報せるなと口止めされていたけど、最近は言語障害や意識障害もでてきたんだ。正気を失ってからでは手遅れだと思ってね」
弟の電話に驚いた。母は治療を受けて、元気に回復しているものとばかり思っていた。そういえば、10月中旬頃に母から来年の5月に父の17回忌をするという連絡をうけたきりだった。最近はこちらから電話もしていなかった。母がそんな深刻な状態だとは、思ってもいなかった。
「とにかく、明日、見舞いに行くよ」 「できたら、明日一泊して行ってよ」 「そうだな、母の容態によっては、泊めてもらうかも知れない」
弟とそんな会話をした。直ぐにでも会いに行きたかったが、1年生と2年生の数学の追考査があるので、その準備をしておかなければならない。一昨日は学校に出かけ、大急ぎで問題をつくり印刷した。これで学校は当面何とかなる。
昨日は朝7:45の電車で木曽川駅を出た。例によって青春18切符の旅である。いつもは鈍行列車の旅が楽しいのだが、気持がせいた。岐阜から特急に乗り換えれば良かったと思った。
母の入院している福井病院についたのが12時過ぎだった。この病院で義理の妹(弟の嫁)が薬剤師をしている。薬局の前に行くと、すぐに目が合った。彼女から20分ほど、母の様態を聞いた。
「いま、状態がわるいので、私のことも誰だかわからないくらいなんです。でも、昨日はお兄さんがくると知って、とても喜んでいました。お兄さんの顔を見れば、元気になるかもしれません」
同じ病院に嫁が薬剤師として勤務しているのだから母も心強いだろう。しかし、母の状態はかなり悪いようだ。とくに今日は朝からまったく言葉が出ない状態だという。彼女に案内されて、おそるおそる母の病室を覗いた。
すでに弟がいて、迎えてくれた。母が私を見て、「あら、よくきたわね」と大きな声を上げた。義妹から聞いていたのとは大違いの母に、私はほっとした。たしかに言葉はたどたどしいが、とにかくしゃべることができる。
母の病室に2時間ほどいた。母の食事を手伝ったが、母は食べたものをすべて吐いてしまう。薬を飲ませても吐いてしまった。どうしても喉を通らないらしい。食欲もなく、水も飲みたくないのだという。点滴もいやがるという。これでは体力がもつはずがない。私は母の手をとり、はげますように「はやく元気になるんだよ」と言った。
リハビリをするというので、看護婦が母を車椅子に載せたところで、私は母に「またくるからね」と声をかけた。「泊まって行くんでしょう」と不満げな母を、「明日仕事があるんだ。また土曜日にくるよ」と、すこし無慈悲に突き放した。母はそれでも相好を崩して、私の方にぎこちなく手をふった。
母の去った後、私は病床の布団を整えた。そして、母がくれたミカンを鞄にいれて、「母さん、ごめんよ」と心中でわびてから、病室をあとにした。病院の外は霧のような冷たい雨だった。傘を差しながら、後ろ髪を引かれる思いで、新田塚のバス停に歩いた。
病床の小さき母の手をとりて かなしかりけり不肖の息子は 裕
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