橋本裕の日記
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| 2006年12月11日(月) |
格差がもたらしたもの |
連日新聞やテレビで「格差社会」が問題になっている。80年代までは国民総中流といわれるくらい日本は格差の少ない国だった。それが今や日本は先進国の中で、アメリカ、アイスランドに続いて貧困率が3番目に高い国である。
05年度日本経済学界会長で京都大学教授の橘木俊詔さんは「格差社会」(岩波新書)のなかでこう書いている。
<前著「日本の経済格差」(岩波新書1998年)に対する批判の一つに「日本の不平等化が進行しているのは事実だが、世界の先進国の中で比較すれば、まだ所得の不平等は中の上程度の高さなので、それほど気にする必要はない」というものがありました。その時点では、先述したようにヨーロッパの大国並みの不平等だったので、そうした見方も可能だったのでしょう。
しかし、現在ではもはやそうした批判は妥当ではなくなっているのです。すなわち、日本の不平等は確実に高まり、日本は、先進国の中でも明らかに不平等の高い国になったと結論できます>
<イギリスとアメリカは、これまでも常に不平等の高いグループに入っていました。いずれも、新自由主義という思想を基本に置いた国です。いわゆる市場原理に基づいて競争を促進するような経済体制をとっており、所得配分という結果の不平等についてはさほど問題とせず、「自己責任」が貫かれています。今日、政治家や起業家をはじめ、新自由主義への信奉を強める傾向が日本にあります。日本の不平等度のレベルが、アメリカやイギリスに近づきつつあるのは、そうしたところにも要因があると、私は判断しています>
こうした現状について、国民の意見はふたつに分かれている。ひとつは「格差はあったほうがよい」「あって当然である」という格差容認派である。小泉首相(当時)も容認派で国会で次のように答弁している。
「格差はどこの国にでもあり、格差が出ることは悪いことではない」 「成功者をねたんだり、能力のある者の足を引っ張ったりする風潮を慎まないと社会は発展しない」
小泉構造改革は、規制を緩和し、これまで聖域とされた公共的な分野にまで市場原理を持ち込み、「競争」によって経済を活性化し、国を豊かにしようというものだ。
たしかにこの改革で大企業は利益を伸ばし、景気もゆるやかに回復して、大企業の多くは今年度最高益をあげた。また、生産性の低い公的部門も整理されて、コストパフォーマンスがそれなりに改善された。
しかし、その反面、所得格差が広がり、貧困層がふえた。高額所得者の上位がサラ金業者や企業買収で儲けたヒルズ族で占められ、ついに政府は番付の発表を昨年度でうち切った。その一方で、生活保護を受ける世帯数は、96年に61万所帯だったものが05年には105万所帯に拡大している。
貯蓄0の所帯も80年代後半には5パーセントだったのが、2005年には22.8パーセントになっている。いまや多くの所帯は貯蓄どころか借金で生活をやりくりしている。そして、自己破産申し立て件数は95年に4万件だったものが、03年には24万件へと6倍も増えた。
11/28の衆議院財政金融委員会で警察庁の竹花生活安全局長は05年度に自殺した3万2552人のうち、「経済苦」を原因とする自殺は3255人だと明らかにした。そしてその6割以上の1996人が「負債」が原因の自殺だという。
これを裏付ける資料がある。02年度、サラ金大手5社だけで、3万9880件の「消費者信用団体生命保険」(団信)の支給があった。その中で死因がはっきりしているものが1万9025件あり、自殺と特定されるものが3649件になっている。実際はこれをはるかに上回る「負債」による自殺があったと見るべきだろう。
さらに深刻なのは、国民健康保険料が払えず、医療を受けられない人が急増していることだ。世界でナンバーワンと折紙までつけられた日本の医療が今崩壊しつつある。所得格差が医療格差を生み、国民の健康をも脅かしているのだ。
また、公立や私立の有名大学に進学する学生の大部分は年収1千万円をこえる富裕階級の子弟だという。たとえば親の平均年収がトップの大学は東京大学である。つまり、大学格差と親の年収格差がパラレルになりつつある。つまり親の所得格差が「教育格差」を生みだし、格差が次の世代まで持ち越されて、階級格差として固定化しつつあるわけだ。
五木寛之さんは「格差」は「いじめ」だという。たしかに小泉構造改革は典型的な社会的強者による弱者いじめである。しかし、多くの人はそうは考えない。いじめを受けていながら、その自覚がない。
それは、悪いのは能力や努力がたりない自分だと思っているからだろう。そしてその鬱憤の捌け口を、さらなる社会的弱者に向ける。いじめられている自覚もなく、そして自分が別のいじめに荷担しているという自覚もない。格差がもたらした最大の<悪>は、こうした救いのない殺伐とした社会の風潮ではないだろうか。
私は格差を容認する人たちに問いたい。日本はこのままでよいのか。一部の大企業や富裕層が笑い、多くの国民が老い先の生活や健康に不安をかかえ、借金の重圧に耐えて生きていくような国の未来に、どんな希望があるというのだろう。
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