橋本裕の日記
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| 2006年11月27日(月) |
イラクの民主化は可能か |
イラクの国情が泥沼化してきた。スンニ派とシーアー派の抗争が激しくなり、もはや内戦状態である。国連の発表によると、10月中の犠牲者は約3800人で、一日平均120人だという。米兵の死者も3000人をこえた。
アメリカ中間選挙で上下両院の過半数を制した民主党は、イラクからの段階的撤退を主張し、ブッシュ政権も撤退を模索始めた。しかし、こうした内戦状態を放置して撤退するのは、無責任だという国際世論がおこっている。現在のイラクはアメリカ軍のプレゼンスでどうにかぎりぎりの秩序を維持しているとみられるからだ。
いうまでもなく、イラクはシーアー派が多数派で、スンニ派やクルドは小数派である。フセイン時代は小数派のスンニ派が強権を用いてイラクを支配していた。そしてフセインは多数派のシーアー派や抵抗するクルド人を迫害した。
アメリカはこのフセインを後押した。それはフセインがイランのイスラム原理主義の盾になっていたからである。アメリカの戦略はイラクとイランを戦わせることで、中東におけるイスラム勢力、とくにイランの力を殺ぐつもりだった。
ところが、とんでもない誤算が起こった。アメリカの傀儡政権であったフセインが突然、クエートを襲ったのである。その理由はイランとの戦争によって国庫が貧弱になり、身動きがとれなくなったためだ。結局この戦争で潤ったのは、アメリカの兵器産業で、イラクは武器購入のために国費を使い果たしたのである。
そこでおいつめられたフセインはクエートの石油に狙いを付け、侵攻した。フセインの誤算はこれをアメリカが容認すると考えたことである。こうした無茶をしても、イラン問題が存在する限り、アメリカがまさか武力介入してくるとは思わなかった。ところが案に反して、アメリカは武力介入を断行した。
もっともアメリカはフセイン政権を打倒はしなかった。もしフセインを打倒したら、多数派のシーアー派が政権を握ることになる。イランに加えてイラクにまでシアー派のイスラム教政権が誕生することはなんとしてでも避けなければならない。だから、フセイン政権を徹底的には叩かなかった。まだ利用価値があると見たわけだ。
ところが、ブッシュ・ジュニア政権になって、イラクに戦争を仕掛けた。その理由はいろいろある。一つにはイラクのフセイン大統領がEUとの連帯を模索し始めたことがある。石油の決算をドルからユーロに換えたのがその象徴だ。このままだとイラクはフランスやドイツの主導するEUの経済圏に入ってしまう。これを阻止したいが、有効な手段がなかった。
もう一つは、イランが宗教色を薄め、アメリカを敵視する傾向から脱却しはじめたことである。イランがもはやそれほどの脅威ではなくなってきた。イラクに多数派のシーアー派主導の政権ができても、どうにかなりそうだという楽観論が出てきた。
これにもう一つ、アメリカ国内の軍事産業や石油産業の要請があった。実際にブッシュ政権は何千億ドルという厖大な戦費を費やしたが、その多くがロッキードマーチン、ボーイング、そしてハリバートン、ベクテル、カーライルグループといったブッシュ政権と強いつながりを持つ兵器企業へ流れている。戦争でアメリカは大きな借金を抱えたが、企業はおおいに潤った。
さらに、ブッシュ大統領には個人的な動機があった。それは父ブッシュに逆らったフセインを許せないのいう心情である。こうした本音をブッシュをもらしたことがあるが、しかし、怨恨から戦争を始めるとはさすが言えない。
そこで「大量殺戮兵器を隠匿している」という証拠をでっちあげ、この嘘がばれると、ついには「独裁制を倒し、イラクを民主化する」というネオコンの主張を全面に立てて、「正義」の戦争を続行した。
こうしたいくつかの要因によって、アメリカはイラク戦争を始めたが、この戦争ははじめから難しい問題を内包していた。つまり、フセインを打倒した後、多数派のシーアー派とスンニ派、クルド人のあいだで、どうやってまとまりのある統一国家が可能かという問題である。これは単にイラクを民主化すればすむというものではない、
アメリカのネオコンがいうように、イラクで「公正な選挙」をおこなえば、多数派のシーアー派が権力を握ることは目に見えている。そうなると、小数派のスンニ派はどうやって生きていけばよいのか。民主化と言えば聞こえはよいが、その内実は多数派のシーアー派の独裁でしかない。
勿論、シーアー派が少数派のスンニ派に妥協し、これを優遇するような度量があれば、この事態は避けられる。民主主義の根本は「少数意見の尊重」だが、問題はこれまで迫害されてきた多数派のシーアー派にこれができるかということである。
しかし、これができなければ、イラクはいつまでも内乱状態を克服できないだろう。何とかこのハードルを乗り越え、「多数決の論理」ではなく、「小数意見の尊重」というより進んだ民主化に向けて努力してほしいものだ。国際世論もまた、こうした方向にイラクが進むように助言や援助をすべきだろう。
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