橋本裕の日記
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| 2006年11月24日(金) |
民主政治はいかに可能か |
ギリシャ人は真理はひとつに決まると考えていたようです。そしてこの考え方は現代のわれわれも受けついでいます。それではその真理は誰が、どのようにして決めるのでしょうか。ギリシャ人が発見したのは「論証」ということでした。つまり私たちが正しい思考の規則(論理)にしたがえば、私たちは正しい結論(真理)にたどりつくと考えたのです。
たとえば、エジプト人は「辺の比が3:4:5の三角形」は直角三角形になることを経験的に知識として知っていました。しかし、なぜそうなるのか、「証明」されるとは思っていませんでした。ところがピタゴラスは「斜辺を一辺とする正方形の面積が、他の2辺をそれぞれ一辺とする2つの正方形の面積の和に等しいとき、その三角形は直角三角形になる」という「三平方の定理」を発見し、これを「論理」によって証明しました。そして「辺の比が3:4:5の三角形」はたしかに三平方の定理を満たしているので直角三角形になります。
こうして「真理」が論理的に到達可能であることがわかると、この論理的思考力を鍛えることが重要になります。そしてこの「ものごとを論理的に考える」という事は、とうぜん共同体の意思決定にかかわる為政者にも要求されます。なぜなら、為政者が真理のなんであるかを知らず、あやまった判断をすれば、共同体は危機に瀕することになるからです。
昔アテネに、テミストクレスという男がいました。前483年、ラウリオン銀山で大鉱脈が発見されたとき、彼は余剰金を市民に配ることに反対し、これで100隻の軍船を建造することを提案しました。しぶる市民たちを説得して、彼はついにこれを実現させましたが、実際にその10年後にペルシャの大艦隊が押し寄せてきて、アテネは海軍力でこれをうち破ることができました。
アテネ市民がテミストクレスの言葉に耳を傾けず、慣例に従って富の分配を受けていたら、ペルシャ戦争に勝利することはなかったでしょう。ポリスの自由と平等は失われ、パルテノン神殿やプラトンの哲学をはじめ、数々の芸術作品、つまり今日我々が目にするギリシャ古典文化が花開くことはなく、今日の世界の様子は全く別のものになっていたに違いありません。
このように、アテネの民主政治は輝かしい歴史を持っているのですが、その後、スパルタと覇権をかけた戦争をするようになっておかしくなりました。こうしたアテネに生まれたプラトンは、民主政治に批判的になりました。真理は小数者の徳であり、大衆の多くは無知であると考え、政治に参加させるべきではないと考えました。無知で教養のない大衆の多数意見に従うことは、真理をないがしろにすることであり、国の将来をあやまることだと考えたわけです。
彼がこうした結論に達したのは、彼の師ソクラテスが民衆裁判で死刑を宣告された理不尽を見ていることも大きいといわれています。彼は多数決による民主主義は衆愚政治を招き、その先にあるのは独裁政治だと主張しました。こうしたプラトンの貴族的な哲人政治にたいする批判は当時からありました。
その代表は、プラトンの弟子のアリストテレスです。彼は王制や貴族制、寡頭制を排して、あるべき政治体制は市民すべてが政治に参加できる民主制でなければならないと主張しています。アリストテレスは市民であることの資格を、血筋や富の所有ではなく、「審議と裁判に参与しうる能力の所有」においています。そしてすべての人間が基本的に理性を持っているかぎり、だれしも政治を行う能力も権利も持っていると考えました。
彼は真理は「論理」だけではなく「経験」も大切だと考えました。論理は一つだが、人々の経験は多彩です。だから、たとえ哲学者でも、真理をひとつに定めることは容易ではありません。さまざまな視点から、さまざまな考え方が提起されます。こうした真理の持つ他面性を否定することはできないからです。彼は政治的決定をする場合は、とくにこの点に留意すべきだと考え、政治を少数者の独占にまかせることには反対しました。そして師プラトンとは違い、市民が平等な立場で政治に参加するアテネ民主主義を擁護しています。
それではどうしたら、プラトンのいう衆愚政治から免れることができるのでしょうか。それは、結局のところ、各人が私欲をさって、公正な判断をすることです。アリストテレスはそのために、市民全体の教育レベルを高めることが必要だと考えました。「審議と裁判に参与しうる能力」を持ち、さまざまな経験をもつ市民によって慎重に審議すれば、その衆知によって真理が達成されると考えたわけです。
この考えは、のちにロックやミルに受けつがれました。ミルは民主主義が衆愚政治に陥らない歯止めは「少数意見の尊重」だと言っています。少数意見をいかに尊重できるか、これが民主政治の健康度をはかるバロメーターだと言ってもよいでしょう。
(参考文献) 「市民政府論」 (ジョン・ロック、岩波文庫) 「ヨーロッパ思想入門」(岩田康夫著、岩波ジュニア新書441) 「社会思想小史」 (水田洋 ミネルヴァ書房) 「デモクラシーの論じ方−論争の政治」 (杉田敦、ちくま新書)
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