橋本裕の日記
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来年の3月に次女が大学を卒業し、4月に就職する。教育学部で英語を専攻したものの、本人の希望で教師にはならなかった。私や長女と同じく、愛知県の公務員である。倍率が10倍以上あったが、よくがんばって合格してくれた。
そのごほうびに、卒業を前に、1ケ月ほどイギリスに語学留学することになった。これは私がすすめた。私自身いずれ、イギリスで英語を勉強したいので、先発隊を送って様子を見るのである。私も2,3年後、イギリスに語学留学したいと思っている。
次女が大学を卒業すれば、扶養家族は妻だけになる。わが家の家計もようやく楽になる。とにかく、今の日本では子ども二人を育てて大学まで卒業させることは容易ではない。おまけにわが家の場合は、家の25年ローンが重くのしかかっている。
ローン地獄はまだしばらく続くが、とにかく来年から子どもが独立してくれるのはありがたい。現在私は3つの保険に入っているが、これももし私に何かあったとき、妻や子どもたちが経済的に困らないためである。私が65歳までに死ねば、家族は3千万円ほどもらえることになっている。
この保険を解約すれば毎月2万円以上の保険料が浮くことになり、私のお小遣いのアップになる。「死んでから金を貰っても仕方がないな」と言うと、妻が「病気になったら困るでしょう」という。ガンにでもなればとんでもない治療費がかかる。保険にはいっていれば、それを担保に借金ができる。
しかし、ガンを宣告され、あと余命幾ばくもないと医者からいわれたら、どこかに旅に出て、旅先で死にたいというのが私の希望である。死に方としては、食を断ち、栄養失調で死ぬのがよいと思っている。
死に場所としては、モンゴル草原がいいと思っていた。パオに水だけ持ち込んで、毎日朝日や夕日を眺めて、自分の体がやせ細り、そして次第に生気を失っていくのを眺める。
絶食で死ぬのは容易ではない。たっぷり時間がかかるだろう。その間、いつも死に向かい合い、自分の生に向かい合う。考えてみればこれはとても貴重な体験ではないだろうか。実は私がこうした死を選ぶわけは、経済的な理由ばかりではない。是非こうした体験をしてみたいのである。
古来より宗教者や文人の多くはこうした死に方をしていた。インドのジャイナ教は絶食死が掟だったし、釈尊も最後は食を断って死んでいる。中国の詩人達や日本の高僧もそうだし、西行なども食を断ち、如月の頃、満開の桜の下で死んだ。しかし私はなにも、こうした宗教者や高雅な文人達にあやかりたいわけではない。
実のところ、絶食死は動物にとって自然な死に方である。インデアンも昔は死を悟ったら、ひとりテントに残り、食を断って死んでいたらしい。楢山節考のおりん婆さんもそうだが、そうした自然な死に方をしてみたいのである。
死ぬ間際まで、日記は書きたいと思っている。中国の文人は弟子を侍らせ、死ぬ間際まで詩を書き、弟子達と詩論を闘わせたりしているが、私にそんな弟子はいないし、もとより孤独死を願うので、あえていえばこの日記だけが友ということになる。
ところで、寒がりの私はモンゴルの草原はちょっとつらいかも知れない。もっとあたたかい南国で死ぬのもいい。たとえば、セブ島などもいいなと最近思い始めている。
死んだ後のことは、現地の人に頼んでおくつもりだ。遺体はモンゴルなら島葬だろうが、セブなら埋葬ということになるのだろうか。家族には日記を遺書代わりに届けてもらうつもりだ。家族はそれで私の死を確認することができる。
ところで、チベットの鳥葬について、椎名誠さんが「カイラス巡礼とっておきの話」でこんなことを書いている。
<チベットでは人は死ぬと鳥葬にされる。鳥葬とは服を全て脱がせた遺体を大きな岩の上に乗せ、体を切り分けて石などでつぶし、鳥に食べやすいようにする。しかしその鳥(禿鷹)が今は少なくなっていて、野犬やカラスなども加わって始末することが多いらしい>
これを読むと、ますます南国の静かな海辺で、月の光を眺めながら死んで、できれば死後は野犬に食べられる前に近所の人に土の中にでも埋めて貰いたいものだと思う。
そのためには勿論、日頃からそれだけの功徳をつんでおかねばならない。来年の夏、セブへ行ったら、そうしたおあつらえむきの土地がないかどうか、さがしてみようかしら。
とこんな話をしていたら、妻に笑われた。そんなことは、実際にガンになってから考えてくださいという。そのときあわてなくてもすむように、やはり保険は続けておいてくださいという。学校の同僚に相談しても同じ意見である。なるほど、そうかなと思う。それに、家族にプレゼントを残して死ぬというのも悪くはない。保険はもうしばらく続けることにした。
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