橋本裕の日記
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| 2006年11月07日(火) |
美しくない日本の教育 |
「きくこの日記」で有名な「きくこ」さんは、高卒らしい。しかし、この人は頭がよさそうだ。文章が抜群にうまい。11月5日の日記にこんなことをズバリ書いている。
<平均で150時間、最大で300時間以上もの未履修時間があったって言うのに、たった70時間の補習でいいとか、それでも厳しすぎるから50時間にしろとか、挙句の果てには、時代錯誤で厚顔無恥な東京都知事が、「くだらない先生の講義をダラダラ聴くより、気の利いた歴史の本を3、4冊読ませて、リポートを出せと言ったほうがいい」なんて言う、無責任極まりない大バカ発言を炸裂させた。サスガ、海外まで売春しに行き、その様子を自慢げに本に書いて出版しちゃうほどの異常者は、言うことがシビレちゃう>
灘高校といえば東大合格者を輩出する私立の名門である。この高校でも、少なくとも4年前から履修漏れがあったという。これについても、「きくこ」さんはこう書いている。
<灘高の今の3年生のうち、217人が、日本史などが未履修で、このままだと卒業できないそうだ‥‥ってことは、仮に、今までも今年とおんなじように不正を続けて来たんだとしたら、最低でも、過去3年間で、約600人もの生徒が、高校卒業の資格を持ってないのに、大学へ入学したってことになる。もちろん、この「4年前から」ってのは、灘高サイドの発表なんだし、こんなインチキをする高校のことだから、ホントはもっと前からだって疑われても文句は言えないだろう。どっちにしても、灘高自体が「4年前から」って発表したんだから、少なくとも4年前にさかのぼって、灘高から大学へ進学した子たちを全員きちんと調べて、未履修がある子は、今からその科目を履修させなきゃおかしいよね>
たしかに正論である。また、11月5日朝日新聞「若い世代」には、高校生の山下友里江(16)さんが、「履修漏れ問題、感じる不公平」と題して、次のように書いている。
<連日、必修漏れの学校が、次々と明るみに出ている。新聞などの報道では、受講しなければならない生徒の怒りや戸惑いばかりに焦点が置かれている。まじめに授業を受けてきて、同じスタートラインで受験しなければならない生徒の声が反映されていない気がする。
必修科目の教科書がないとか、受けていない授業の単位が通知表に出ているとかで、当事者も気付いていたと思う。自分たちさえよければいい、受験科目だけ頑張ればよいという気持で、事実を黙認していたのではないか。
実際に進学率がアップしたという数字も出ているらしい。いくら進学率が上がっても、本当にそれだけでいいのだろうか。高校は、進学のためにだけ通っているのではないはずだ。
どんな授業にも意味があり、無駄なものは何一つなにのではないか。好きな授業ばかりでないのに、きちんと受けている私たちは、未履修のみなさんに「不公平」だと言いたい>
11月5日の東京新聞の社説は、「根っこから考え直そう、高校必修漏れ」と題して、この問題の根っこに迫っている。これも引用しておこう。
<より根本的には、大学予備校と化した感のある高校の実態をどう改めていけばいいかだ。そういう本質的な問いこそ、突きつけられている。
公立高校の中には教育委員会から数値目標を求められ、国公立大や有名私大の合格者数によって評価され、その実績で学校長の異動まで左右される地域もあるという。私立高校は少子化に対応して生徒を集めるための方策だろう、大学合格実績を売りものにしている。
このような受験偏重の競争主義と評価の仕組みは、教育の本筋から大きくはずれている>
「教育に競争原理を」を合い言葉に「教育改革」を押し進めた英国では、学校間の格差が拡大し、底辺校を中心に新学期がはじまる1週間前になっても、1300校で校長が決まらぬ事態に見舞われているという。
英国では全国一律の学力テストを実施していたが、とうとうウエールズ地方政府は学力テストそのものの廃止を決めた。全英校長会も今年5月に、学力テストの結果公表を取りやめるように決議している。
そしてついには88年のサッチャー時代にこうした教育改革を導入した保守党までが、ことし9月には、学力テストによる目標管理や学校名の公表を見直す方針を明らかにした。
安倍首相は英国の教育改革を誉めあげ、著作「美しい国」の中でも米国のバウチャー制度にふれているが、全米でバウチャー制度があるのはわずか6地域のみで、対象は低所得者層に限られている。
しかも米国でも統一テストでカンニングや学校ぐるみの成績改竄など、不正行為が蔓延し、校長のなり手がないという。こうした英国や米国の惨状を、安倍首相や与党の政治家がどれほど把握しているのか心配である。
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