橋本裕の日記
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| 2006年11月04日(土) |
だっこちゃんの思い出 |
小学校の頃、クラスに少し色の黒い可愛い少女がいた。私はちょっと好きだったのだが、このころ「だっこちゃん」が流行し、まもなくこの少女が「だっこちゃん」と言われていじめの標的になった。
いじめの中心にいるM君にはだれもさからえない。腕力が強いわけではないが、私たちのだれよりも頭がいいのだ。この明敏な頭脳をつかって、彼はクラスを巧妙に支配していた。
正直に告白すると、私はこの少女が好きだった。にもかかわらず、彼女がいたぶられ、泣いているのを見ても、助けようとはしなかった。もう少し正直に告白すると、それを観客の一人としてたのしんでさえいた。彼女がいじめられているところを見るのが、ある種の快感だった。そして私自身があるとき、彼女を「だっこちゃん」と呼んだ。
彼女はそれから学校を休むようになった。私は彼女が坐っていない机をみて、さびしかった。このとき、いじめに荷担したことを反省する気持がはじめて芽生えた。
ある日、担任の先生が私の家に来た。当時、私は学級委員だった。先生は彼女が学校に来なくなった理由を私に聞き、「先生も考えるが、君たちもなんとかしなさい」と言った。
このころから、私とMとの間にすきま風が吹き始めた。そしてやがていじめの矛先が私の方に向いてきた。学校からかえってきても、Mはいじめの手をゆるめようとはしなかった。私が家にいると、家の周りを彼の親衛隊が私の悪口をはやしながらまわる。耳を押さえてもだめだった。
こうしたいじめを、私は両親に告白しなかった。親や先生に助けを求めるのは「卑怯」だと思った。この問題は自分たちの問題だから、自分たちで解決しなければならないという思いがつよかった。M君の支配をどう切り崩したらいいのか。それには仲間をあつめ、クーデターをおこすしかない。
しかし、勝算があるわけではなく、その勇気がわかなかった。それで家出のまねごとをしたのだが、ある日、がまんができなくなって、級友たちに呼びかけて立ち上がった。そしてこのクーデターは一応成功した。
その後、M君にたくみに巻き返されはしたが、一時的にしろ私たちがクラスを民主化し、M君の専制支配を打倒した影響は大きかった。M君はその後再び支配者になっても、以前のような暴君にはならなかった。このことは、私に自信をあたえてくれた。
小浜に行くと、当時私たちがM君の専制支配打倒を誓ってあつまった小浜神社に足が向かう。この傍らに小浜城趾があり、その市街が一望できる石垣の高台で、私たちは反逆ののろしを上げた。少年時代のささやかな、それでいて大切な思い出だ。
この小浜神社の近くに、一緒にM君打倒に立ち上がったA君の家がある。2年ほど前に私はそこを訪れた。そして奥さんの出してくれたコーヒーを飲みながら、A君と当時の思い出話に花を咲かせた。
A君によると、M君の消息はわからないという。しかし、だっこちゃんはその後、中学校の先生になって、元気に自転車で走り回っているという。「もうすっかりおばさんだけどね」というA君の言葉に、私は思わず笑ってしまった。
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