橋本裕の日記
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2006年11月01日(水) 履修漏れで校長が自殺

 30日午後4時5分ごろ、茨木県大子町の山林で、茨木県立佐竹高校の高久一郎校長(58)が、ロープで首を吊って死んでいるのが見つかった。校長は29日午後に家をでたきり行方が分からなかった。付近の車から見つかった遺書には「許して下さい」「頑張ってください」などという文字が並んでいたという。

 佐竹高校は26日に必修の2教科で履修漏れが見つかり、27日に生徒に経緯を話して謝罪した。自殺した30日には保護者説明会が予定されていたが、かわりに教頭が説明したという。校長が自殺したのは履修漏れを苦にしたのだろう。

 文部科学省の発表では、単位不足が見込まれる公立高校3年生の総数は4万7千人を越えているという。学校数は4千校をこえている。この数は今後さらに増えるだろう。

 履修漏れや裏カリキュラムのようなことは、大学受験で実績のあるいわゆる進学校ならほとんどやっている。そしてその実態は教育委員会も知っていたはずだ。しかし、これが不正であるという意識が乏しかった。「他がやっている以上、うちもやらないわけにはいかない」という対抗意識もあったことだろう。

 私が20年ほど前に勤務していた県立高校では、必修クラブの時間に教科を教えていた。私はテニス部の顧問だったが、進路部長からテニスはいいので、物理の入試問題を解説してくれといわれ、理系の生徒をあつめて補習のようなことをしていた。

 その成果もあってか、東大に2名ほど合格した。京大や名大、早稲田や慶応にも合格し、国公立大学だけで140名ほども合格し、校長も私たち教員も鼻高々だった。その年、校長は教育委員会の課長職、のちに部長職に栄転している。もっとも私自身はこうした教育に絶望して定時制に転勤した。

 ほんらい学校は大学入試のための予備校ではないはずである。「よき市民を育てること」こそが公教育の本来の目標であろう。もちろん生徒の進路選択を考えた受験指導も必要だが、それがすべてではない。人間として円満に成長するためには、幅広い教養も必要である。受験に必要ないから、切り捨てるというのはどうだろう。

 しかし、こうした理想は受験競争という現実の前でいかにも無力である。今回の履修漏れも、おそらく何らかの救済策がとられ、今後は必修科目の削減か柔軟な運用という方向に変わって行くに違いない。「受験」という壁があるかぎり、学校や教師はこの現実に妥協するしかない。人間教育という美しい理想を捨てずに教師を続けることは、今の日本ではなかなかむつかしい。 


橋本裕 |MAILHomePage

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