橋本裕の日記
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| 2006年10月26日(木) |
フラット化した世界に住む幸福 |
経済学には「リカードの比較優位」という有名な理論がある。リカードによれば異なった発展過程にあるA,B両国が貿易した場合、双方に比較優位の商品が生まれ、これを取り引きすることで、双方が利益を享受することができるという説である。
つまり、貿易は基本的に相互互恵的な運用が可能だというありがたい理論だ。問題はこのリカード理論がフラット化した世界で成り立つのかということである。フリードマンはこれにイエスと応えている。
たとえば、世界にアメリカと中国しかないとしよう。簡単のためにアメリカの労働人口を100人とする。そして中国の労働人口を1000人としよう。
先進国であるアメリカの場合、労働者のうち、80人が知識労働者で、残りの20人が単純作業労働者だとする。そして中国の場合は、知識労働者が80人で単純作業労働者が残りの920人だとする。
世界がひとつになったとき、アメリカの知識労働者は自国のみならず、中国の80人の知識労働者とも対等に競争しなければならない。しかも中国の労働賃金はアメリカの半分以下である。
これは一見脅威だが、世界が広がったことはマイナスだけではない。アメリカの80人の知識労働者にとって、突然現れた未開拓の巨大市場は大きなチャンスでもあるからだ。
長い目で見れば、世界のフラット化は彼等にとっても悪い話ではない。もちろん80人の中国の知識労働者にとってこれが願ってもないチャンスであることはいうまでもない。彼等はアメリカの企業で職を得ることで、給料は格段に改善されるだろう。
問題は、アメリカの20人の単純作業労働者である。彼等は彼等よりもはるかに低賃金で働いている中国の単純作業労働者と競いあわなければならない。たとえ雇用が確保されても、賃金は下がり、生活レベルがさがることは必然である。
これをどうするかが問題として残る。しかし、世界の一体化は圧倒的大多数の人々にとって大きな福音になることはまちがいない。最大多数の最大幸福こそが我々地球市民が求める倫理だとしたら、世界がこの方向に進むことを歓迎するべきだというのが、フリードマンの考えのようである。
これまでは人間はどこに生まれたかで未来の幸せが大きく違っていた。中国の田舎に優秀な才能を持って生まれるよりも、アメリカの都市に平凡な才能を持って生まれたほうが幸せな時代だった。世界がフラット化されると、個人は何処に生まれても、世界を舞台に生きることができる。これは個人にとっても大きなビジネスチャンスである。
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