橋本裕の日記
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2006年10月22日(日) フラット化する世界と個人

 最近、グーグルの威力を実感している。三十数年ぶりに、大学時代の同級生からメールがあった。私の自伝を読んで懐かしくなったという。彼も又、私の自伝に実名で登場している。

「実名でなければ、プリントアウトして息子に読ませたい。当時の様子が分かるから」と書いていた。九州大学にいるというので、さっそく彼の名をグーグルで検索した。

 そうすると、理学部の教授をしていることや、研究分野など、彼の近況がつぶさに分かった。これに味を占めて、大学時代の同級生の名前を次々に検索した。これでかっての友人の消息が大方わかった。

 アメリカで超ベストセラーになったトーマス・フリードマンの「フラット化する世界」(日本経済新聞社)には、友人が一目惚れした男性の素性を知りたくてグーグルで検索したら、その男が暴行で逮捕された経歴があることがわかり、友人に忠告した人の証言が載っていた。

 さらに、疎遠になっていた弟の居場所を知りたくて、グーグルで検索したら、ある街で男娼をしていることがわかり、さっそく弟のもとに駆けつけた兄の話ものっている。グーグルに興信所も真っ青というところだろうか。それにしても恐ろしい時代になったものだ。フリードマンもこう書いている。

<フラットな社会では、逃げることもできなければ、隠れることもできない。小さな石まで一つ一つ裏返されてゆく。何をやっても、どんな過ちを犯しても、いつかは検索でわかってしまうから、真っ正直に暮らした方がいい>

<2003年秋に大学に入学する前に、娘のオーリイが私に、これからルームメイトになる学生たちの話をした。どうしてそんなことを知っているのだろうか? 話をしたのか? それとも電子メールでも来たのか? とたずねると、オーリイはどれでもないと答えた。ググっただけだというのだ。ハイスクールの新聞や出身地の記事が出てきて、さいわい警察の記録はなかった>

 フリードマンはグローバリズムには3段階あるという。一つ目はコロンブスの新大陸発見にはじまるグローバリゼーション1.0で、これは国家が主役だった。

 第2段階は、18世紀あたりから始まる企業を主体としたグローバリゼーション2.0である。これが20世紀まで続いた。東インド会社や現代の多国籍企業がその代表である。さらに、これからの時代は「個人」を主体としてグローバリゼーション3.0の時代を迎えるという。

<2000年前後にまったく新たな時代に突入したと、私は本書で論じることにした。これがグローバリゼーション3.0である。グローバリゼーション3.0は、世界をSサイズからさらに縮め、それと同時に競技場を平坦に均した。またグローバリゼーション1.0の原動力が国のグローバル化であり、2.0の原動力が企業のグローバル化であったのに対し、3.0の原動力−−これにたぐいまれな特徴を与えている要素−−は、個人がグローバルに力を合わせ、またグローバルに競争を繰り広げるという、新しく得た力なのである>

<世界の人々が、ある日突然、個人としてグローバル化する絶大な力を持っていると気付いた。世界中の個人が競い合っているのを、これまで以上に意識しなければならなくなり、しかもただ競い合うのではなく、協力する機会もまた飛躍的に増えた。その結果、誰もがこう自問できるようになったし、また自問しなければならなくなった。私は個人として、現在のグローバルな競争やビジネスのどこに割り込めばよいうのか? 一人で他の人々とグローバルな共同作業をするには、どうすればよいうのか?>

 トーマス・フリードマンはピューリツア賞を3度も受賞しているニューヨーク・タイムズの大物コラムニストである。世界でもっとも有名で売れている彼のコラムを、日本でも読みたくてニューヨーク・タイムズを購入している人もいる多いようだ。

 彼のモットーは、難解な文章を書くのでなく、誰でも分かるシンプルな文章を書くこと、そして実際に現場を見て、人に会って自分の感性で文章を練ることだそうだ。

 そのためにフリードマンは早朝にコラムを作成する。その理由は、幼稚園に勤務する奥さんに作成したコラムをチェックしてもらうためだ。奥さんがOKといえば、ニューヨークタイムのチェックは必要ないという。

 ごく平均的な主婦にでも理解できるシンプルで、しかも実感にあふれた文章、それでいて世界の本質を深く捉えている凄みのある文章は、なかなか書けるものではない。トーマス・フリードマンから多くを学びたいと思う。


橋本裕 |MAILHomePage

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