橋本裕の日記
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| 2006年10月21日(土) |
英語学習と自転車乗り |
私たちは中学、高校と6年間英語を習っていて、文法や語彙についてはかなりの英語の知識をたくわえている。大学受験のために、過去完了とか、関係代名詞、仮定法未来など、難解な文法知識もいろいと詰め込んでいる。
ところが、「ちょっと、出かけるよ」とか、「雨かも知れないから、傘を持っていったら」というごくやさしい英語が出てこない。ましてや英語で日記を書いたり、スピーチをすることはからきし駄目である。
ところがセブの学校で日本人学生の担当だったフィリピン人のレオーニさんは、日本に1年ほど滞在した経験があるようだが、流暢な日本語を話した。むつかしい文法は何も知らない癖に、すらすらと日本語が出てきた。彼女にいろいろと学校生活のことを相談したが、すべて日本語で用が足せた。
また、日本に来てから日本語を始めたという中国人があまりに上手に日本語を話すので、「お上手ですね」と誉めたら、「もう4ヶ月になりますから」と言われて驚いたという日本人の話がある。
彼等にしてみれば、6年間も英語を学校で勉強すれば英語が普通に話せて当然と考えるわけで、ほとんどの日本人が片言の英語も話せず、挨拶さえできないのは信じられないことらしい。どうしてこのようなことになるのか。
それは結局、学校でそうした日常表現をならってこなかったからだろう。たとえ習っても、実際に口に出して覚えるというトレーニングをしてこなかった。語学は一種のスポーツのようなもので、理論だけではなく実践が大切なのだが、この実践ができていない。私が去年セブの書店で買った「Perform in School the Smart Way」という本にも、こう書いてある。
Theory without practice result nothing. So, if you want to climb several steps higher in improving your study habits, put everything in this book into practice so you will know how far you gone and what improvements you still need to do achieve your goal.
(実践をともなわない理論はどのような成果もうみださない。したがって、あなたが自分の学習態度を改善しようと思ったら、この本に書いてあるすべてのことを実行しなさい。そうすれば、あなたはどれだけ進歩したか、そしてあなたの目標を達成するのにまだ何が必要か分かるだろう)
英語の学習は「自転車乗り」にたとえるとがわかりやすい。自転車の各部分の解剖学的な仕組みや名称を覚え、ベアリングの数やリムの働きを理解しても、あるいはなぜ自転車が倒れないのか、力学的に高度な計算できても、実際に自転車に乗らなければ、彼は永久に自転車に乗ることは出来ない。
逆に、自転車についての細かい知識や理論を何一つ知らなくても、自転車にまたがり、何度も転びながら練習すれば、やがて誰でも一人前に自転車が乗れるようになる。
語学というものも、基本的に自転車乗りと同じようなものだろう。そうすると、私の場合はようやく自転車にまたがり、まがりなり走り始めたというところだろうか。
まだまだ自由自在にはほど遠いが、ちょっと近所までお使いにいけるくらいのところまで来たのではないかと思っている。自転車に初めて乗れたときの喜びは今でも覚えている。英語の学習も初めて「話せた」と実感できたころがいちばん楽しいのかもしれない。
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