橋本裕の日記
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2006年09月23日(土) お彼岸とおはぎの話

 今日は秋分の日である。土曜日と国民の祝日が重なって、私のような怠け者は少し損をした気分だが、これはいたしかたがない。お天気もそう悪くはないようだし、今日の一日を二日分の休日だと思って、大いに楽しもうと思う。川辺の散歩道に、まだ彼岸花は咲いていないが、萩やコスモスが風に揺られてとてもきれいだ。

 さて、秋分の日は昼の長さと夜の長さが同じになる。なぜそうなるのか、世のお父さんやお母さんは子供に説明できるだろうか。むかし学校で習ったはずだが、もう忘れている人が多いのではないだろうか。案外、子供の方がよく知っているかも知れない。一家団欒のときに話題にして、家族で考えてみてはどうだろう。

 ヒントだけ書いておこう。それは、地球の自転軸が公転面に対していくらか傾いているからである。もしこの傾きがなかったら、一年中昼の長さと夜の長さが等しくなる。そしてもちろん四季もなくなる。

 逆に、90度傾いていて、北極点が太陽の方を向いていたらどうなるだろう。北半球では1日中お昼ということになる。太陽は真北の一点にあって、不動である。反対に南半球は永遠に夜ということになる。つまり一年中真冬だ。こんな世界にはだれも住みたくはないだろう。

 秋分の日と、春分の日は太陽は真東から昇り、真西に沈む。なぜそうなるのか、これも家族団らんの席で話題にしてみてほしい。たまには子供と一緒に、知恵を絞り、頭の体操をやってはどうだろうか。身近なところに理科の話題はたくさんころがっている。とくに秋分の日は、子供を理科好きにし、ひいては勉強好きにする絶好のチャンスだ。

 秋分の日と、春分の日を「お彼岸の日」と呼ぶが、これはこの日に太陽が真西に沈むからだ。仏教では人間が死後赴く極楽浄土は真西にあると考えられ、「西方浄土」と呼ばれた。だから、一年に2度訪れるこうした日は特別なのである。この日にかぎらず、私の祖母などは落日に手を合わせて拝んでいたものだ。私たちは手を合わせないまでも、先人の恩や、自然の恵みについて、あらためて思いをいたす時間を持ちたいものだ。

 ところで、お彼岸の日に食べるのが「ぼたもち」や「おはぎ」である。これはtenseiさんの「TNSEI塵語」で教えられたのだが、「ぼたもち」は「牡丹餅」で春の彼岸用、「おはぎ」は「お萩」で秋の彼岸用だそうだ。「おはぎ」と「ぼたもち」は同じものだと思っていたので、彼の日記はいつもながら大いに参考になった。さっそく今日の朝食の席で妻と娘にこの話をして、私の大好物の「お萩」を買ってきてもらうことにしよう。

(参考)
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=18221&pg=20060920


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