橋本裕の日記
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2006年09月22日(金) 仏教王国ブータン

 いつか、仏教王国ブータンへ行ってみたいと思っていた。そんな私にとって、五木寛之さんが週刊現代に連載している「新・風にふかれて」は必読である。9/30号から引用しよう。

<ブータンの国家経済の規模は小さく、国民総生産の額も高くはないが、税金が安く、教育費と医療費はただだと聞いた。

 この国には死んだ人のために墓というものを作らない。輪廻転生を固く信じているブータンの人たちは、死者は49日たてば必ず転生して、この世に生まれ変わってくると考えるから。

 ひよっとすると、道路に寝そべっている犬に生まれ変わっているかも知れないし、牛が伯母さんの転生した姿かも知れない。ハエや蚊になってもどってきている可能性もなきにしもあらずだから、うかつにピシャリとできないのである>

<彼らの考え方にしたがうと、この世の生きものは皆、自分の親戚ということになってしまう。気にくわない相手でも、ひょっとすると子供の頃可愛がってくれたおじさんの生まれ変わりかも知れないではないか>

 子供の頃、田舎の祖父の家に遊びに行くと、囲炉裏があり、そこに坐りながら、いろいろな話を聞いたものだった。そのなかの一つに、「世の中の生き物はみんな生まれ変わりだ」というのがあった。話はもう少し具体的で、いま外で鳴いているあの鳥は彦左右衛門さんの生まれ変わりだとか、井戸端で鳴いている蟋蟀は世左右衛門さんの死んだ娘の生まれ変わりだとかいうものだった。

 高校に入って「更級日記」を読んだが、そこにもお姫様の生まれ変わりらしい猫の話が出てきた。また、その頃読んだ「歎異抄」にも、「一切の有情は、世々生々の父母兄弟なり」とあって、私はこれなども輪廻転生と結びつけて考えていたものだ。後に道元を読んだとき、「他己」という言葉があることを学んだ。他人も結局はもう一人の自己というわけだ。

 私はこうした物語を信じていたわけではない。しかし、こうした話は私をとても幸せにしてくれた。世の中に生きているすべての存在に対する親愛の気持をいだかせてくれた。こうした感性は今も私の心の奥深くに残っていて、ものの考え方に大きな影響を与えているのではないかと思っている。

 なおブータンは、インドと中国にはさまれた高地にあり、チベット仏教を国教としているので、「天空の聖地」などとも呼ばれる。17世紀に移住したチベットの高僧ガワン・ナムゲルが、現在の国土をまとめたのだという。現国王は仏教への帰依があつく、国民総生産にかわる国民総幸福量(GNH)という概念を提唱している。


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