橋本裕の日記
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高校の頃、フロイトの「精神分析入門」を夢中で読んだ記憶がある。フロイトは人間の心の成長を、「自己愛から対象愛へ」という形に定式化している。
劣等感に苦しみ、自意識の問題で悩んでいた私にとって、「対象愛」という考え方は人生の新しい指針だった。ラッセルの「幸福論」にも、「客観的関心」という言葉があった。自然や社会の問題に興味を抱くようになって、私の自己閉塞の青の時代は基本的に終わったように思う。
ナルシシズムは何も同性愛に限らない。異性愛であっても、その本質はナルシシズムであることがある。フロイトの「ナルシシズム入門」から引用しよう。
<(自己愛的な美人の女性は)男性が彼女を愛するのとおなじような強さでもって自分自身を愛しているにすぎない。彼女が求めているのは愛することではなくて、愛されることであり、このような条件をみたしてくれる男性を彼女は受け入れるのである>
人間はだれでも自己愛を持っている。しかし、やがて外の世界に関心を広げる。主観的な世界から、広々とした客観世界に関心を向けることで、健全な精神の成熟が可能になり、ほんとうの意味での心の安らぎと、幸福感を得る。これがフロイトやラッセルの考えた幸福の理念だ。
フロイトはナルシシズムを全否定してはいない。それもまた成長の過程だ。しかし、この段階にとどまっているべきではない。主観的で幼児的な自己愛の世界から、客観的な「対象愛」の世界へ、人は脱皮しなければならない。この脱皮に失敗すると、人は現実世界に適応できなくなり、さまざまな人生上の問題に直面する。そして自己愛神経症を発症する。
それではいかにして、人はこの幼児的な自己愛から脱却できるのか。ラッセルなら「自分以外に関心を向けなさい」と忠告するだろうが、そもそも外に関心が向かないから自己に執着するのである。
アメリカ精神医学界が1994年に発表した精神疾患の診断マニュアルによると、自己愛パーソナリティ障害の基本的特徴は「誇大性、賞賛されたいという欲求、共感の欠如」だという。
もっともアメリカや今日の日本では、おうおうにしてこうした自己愛パーソナリティ障害者が成功者となる。これは基本的に、社会そのものが病んでいるからだ。社会そのものが自己愛パーソナリティで汚染されると、パーソナリティ障害者が成功者になる確率が高くなるわけだ。
自己愛パーソナリティ障害者が社会的に成功するという社会病理現象が横行する中で、社会の風潮にあがらってこれを治癒することは容易ではない。したがって、パーソナリティ障害の克服は、個人の次元ばかりではなく、社会的な病理現象として捉える視点が重要になってくる。
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