橋本裕の日記
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2006年07月21日(金) 戦争を知らない高校生

 今の高校生や大学生は日本軍が犯した戦争犯罪についてほとんど何もしらない。それどころか、日中戦争や太平洋戦争について、それがいつどのようにして始まったのか、それがいつどんな形で終わったのか、ほとんど知らない。

 友人のtenseiさんが、国語(古典)の授業で、開戦、原爆、終戦、憲法発布、憲法施行の日を教え、平和憲法について話したという。そのときの生徒の反応が7月20日の「TESEI塵語」にくわしく書かれている。全文を引用させていただこう。

 −−−−−−− そんなに遠い話か?  −−−−−−

 きょう、実は、1年生の1クラスの授業が予定外に残って、それを知った金曜日から、中途半端な1時間に何をするか悩んだのだった。昨日からあれこれ考えて、夏は原爆投下と終戦の記念日の季節でもあるから、教科書の「りんごのほっぺ」という文章の朗読を聞かせることにした。

 女優の渡辺美佐子が書いたエッセイで、色白で赤い頬をした初恋の男の子が広島に学童疎開してまもなく爆心地近くで亡くなった話を中心に、原爆にまつわる詩を朗読する活動のことを書いたものである。原爆記念日への意識付けに、できるだけ夏休み前にこういう教材を取り上げたいと思っているが、いつもできるとは限らない。

 教科書を開かせ朗読を聞かせる前に、念のため質問してみた。夏休みの間に、今のような社会(もちろんいろんな面を説明する)になるきっかけとなった記念日が3つあるけれど、何月何日の何?・・・・・・・・・・・・・・・・・・出ないんだなぁ、これが。。海の日? みどりの日? などと言い合ったりもしている。教室をぐるーーっと歩き回りながら聞いていくのだが、出ない。

 やっとひとりが、8月15日、と答え、それは何の日と聞くと、終戦記念日、、、、やれやれである。じゃ、そのきっかけになったできごとは? と尋ねると、やっとそこかしこで原爆だよ、何日だったっけ、と声がするが、ちんぷんかんぷんの子もいるようだ。

 結局その時間は、開戦、原爆、終戦、憲法発布、憲法施行の日を教え、平和憲法について話し、朗読を聞かせたら終了で何も書かせられなかった。夏休み中、このころになったら、しっかりTVのニュースや特別番組も見てくれぃ、と頼んでおしまいにした。

 それが2時間目のことで、4時間目の2年生の古典はちゃんと予定が組んであったのだが、ここでもこの質問をしてみることにした。今年の春まで3年間見てきた生徒たちや今年の1年生から比べると、同じ学校の生徒とは思えないほど日ごろからしらけた雰囲気の生徒が多い。ちょっと雰囲気が重苦しい感じなのだが、できるだけ軽い感じで聞いてみた。

 やはり、ほとんどが、知らない、わからない、首を傾げるという反応で、ひとりの女子が一生懸命連想的に思い出して8月6日が出た。それから15日の終戦記念日も出た。

 それにしてもねぇ、、、2年生といえば、現代社会の授業を終えているのに高1の必修科目である現代社会ではこういうことを扱わないのだろうか? そういう私も、こういうことを学校で覚えたのかどうか定かでないが。。。

 しかし、あまりにも知らなさすぎる、というより無関心すぎるじゃないか。小中学校の教員も、教えなさすぎるのではないだろうか? あの一連のできごとは、もうすでに遠い昔話にすぎないのだろうか? いや、遠い過去の物語であるはずがない。

 日本国憲法が書かれ制定された裏の事情や意図がどうあれ、あの一連のできごとは、「お国のために戦う」ことが実は「お国のために」ならず、かえって国を荒廃させることを教えたのだ。原爆はその決定打であるとともに、将来への恐るべき脅威となったのだ。国を愛するならもう金輪際戦ってはいけない。

 攻められても、侵略されても戦うなってか? と思うのでなく、(私自身も若いころは、そういう思いと葛藤したものである)攻めるとか侵略するとか、そういうことのない関係であるように、常に外交努力を積み重ねなければいけない。戦えば戦うほど、国の荒廃を招くのだ。核兵器があのころより格段にヴァージョンアップし、ボタンひとつで広範囲を壊滅できる現代だったらなおさらだ。

 首相が盛んに近隣諸国に喧嘩を売り、暴力好きな大国の侵略行為に賛同して協力したがり、それを正義と呼び、「お国のために戦う」式の思考の持ち主たちが愛国心教育を声高に叫び、国際的暴力行為に参加できないことをもどかしく思う人々があの大切な憲法第9条を堕落させようと目論んでいる。。。

 だから、あれから61年経った今でも、あの一連のできごととそれに対する反省は、現代的意味を持っている。あの61年前の悲劇とその意味を、忘れてはいけないのである。それを忘れたような連中に、政治を委ねてはいけないのだ。だから我々も、やがて選挙権をもつ生徒たちにできるだけ教えなければ。。。

http://www.enpitu.ne.jp/usr1/18221/diary.html
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 自分のことを考えてみれば、戦争の問題を本気で考えるきっかけは、高校2年生の時の長崎への修学旅行だった。原爆記念館で鉄兜に溶け込んだ頭蓋骨を見た。そして戦争の惨禍を知った。

 なぜ、こんな悲惨なことが起こったのだろう。そして、その悲惨なことは今も世界で続いている。なぜ、人間は戦争をやめないのか。何が人間を戦争に駆り立てるのか。こうした問に真剣に目覚めたのがこのときだった。そしてあれから40年近くたった今も、この問は私の中で問われ続けている。

 北京の抗日戦争記念館の展示の最後には日本国憲法第九条が掲示されているという。日本国憲法の「戦争放棄」の精神は、「日本軍の侵略が引き起こした巨大な惨禍とアジアの無数の犠牲があってこそ日本に課せられた」(高橋哲哉)ものである。「開戦、原爆、終戦、憲法発布」という一連の歴史の流れの中で、何故憲法九条が生まれたのか、真剣に考えるべきだろう。


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