橋本裕の日記
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7月23日(日)から3週間、フイリピンのセブ島へ行く。事前学習として、第二次大戦中のフイリピンでの日本軍の作戦や行動、フイリピンの人たちの戦争被害についてぼちぼち調べている。しかし、資料を読んでいるうちにつらくなった。たとえば、「東南アジアの日本軍慰安所」 http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper22.htmにはこんな記述がある。
<フィリピンの場合は、マラヤとはかなり様相が異なっている。一九九二年一一月までに明らかになった三〇人の元慰安婦のケースを見ると、その年齢は一二歳から二六歳、その半数強は二〇歳以下だった。徴集の方法は、家にいる時や道を歩いている時、川で洗濯をしている時に強制的に連行され、強姦輪姦されたうえで慰安婦にさせられたケースが非常に多い。
そうした連行の方法は日本軍の占領直後から始まっている。ゲリラ討伐の名による住民虐殺をおこなう一方で若い女性を拉致するケースがある。この段階では、特定の将校や兵士たちが拉致してきた女性を家に監禁して順に輪姦をくりかえすというきわめて粗暴な傾向が見られる。>
「フィリピンと日本戦争体験者 100人の記憶」http://www.cffjapan.org/03smile/100warexp_001.htmlも参考になった。日本兵の残酷さを告発する証言が多い中で、戦後日本兵をかくまい、最期を見とったという記録もある。一部、引用させていただく。
<Nakaiは第二次世界大戦中に日本兵としてバターン戦下にいた。Captainとつくぐらいなのである程度上の位の兵士だと思われる。
戦時中、ある日本兵がフィリピン人を殺そうとした。それをナナイの祖父が止めようとした。その時,日本兵は祖父を殺そうとしたがNakaiが「はぁ!!!」と強い声をあげ、その兵士を殴りやめさせた。
祖父は助けてくれた2日後、お礼に食料、生のバナナ等を持っていった。しかし、彼は食べなかった。部下にも食べさせなかった。唯一生のバナナだけ食べた。おそらく毒など恐れて食べなかったのではないだろうか。日本兵はよく「バカヤロウ」、「ドロボウ」と言っていた。
ある日(いつかわからないけど,41年?)Nakaiは右足を失い地面にたおれていたのをナナイの母が見つけ、止血をして助けた。そのとき彼は「死なせてくれ」とタガログ語で言ったが自宅に連れて帰った。
日本の敗戦を知ったとき、Nakaiは正座をして切腹しようとした。しかし、ナナイの母が世話をすることを約束しフィリピンで生きることを説き自殺をやめさせた。Nakaiの手にあった銃剣をとりあげるとNakaiは涙を流し断念した。
フィリピン人にも見つかったら殺されるため、キコという偽名を使い舌がなくしゃべれない人を装う。1940年〜47年の七年間かくまっていたという。その間、Nakaiはよく何かの写真(家族?)を見て泣いていたという。夕日の下で。毎日,太陽の下でひざをつき何かを考え、祈っているように見えた。Nakaiはその後マラリアで死んだ。遺体は、布にくるみバクラ川の対岸に埋葬した>
http://www.cffjapan.org/03smile/100warexp_005.html
フイリピンでも多くの女性が日本軍にレイプされている。そして30人余りの女性が、かって「従軍慰安婦」だった体験を証言している。しかし、日本の裁判所は彼女たちの訴えを斥け、日本政府はこうした戦争被害者に充分な補償をしようとはしない。
それどころか「新しい歴史教科書をつくる会」の人々を中心に、「南京大虐殺」も「従軍慰安婦」も存在しないような言説まで横行している。その論客の一人である藤岡信勝・元東京大学教授の発言を、高橋哲哉さんの「戦後責任論」(講談社学術文庫)から孫引きしておこう。
<この問題(慰安婦問題)こそは日本国家を精神的に解体させる決定打として国内外の反日勢力から持ち出されているからである。端的に言って、これは国際的な勢力と結びついた壮大な日本破滅の陰謀なのである>
ちなみに、ドイツ連邦議会は、2000年に政府と企業がそれぞれ50億マルクを拠出し、約100万人の戦争被害者に一人当たり最高1万5千マルクの補助金を支払うことを決め、翌年に支払いが行われている。
またドイツではニュルンベルク裁判とは別に、ドイツ国民自らが戦争犯罪を追求し続けた。90年代にいたるまでに10万件をこえる容疑を捜査し、6000件をこえる有罪判決を下しているという。
しかし日本はついに自らの手で戦争犯罪を追求しなかった。私たちは戦争責任の問題を「東京裁判」でおしまいにして、300万人の同胞と2000万人の近隣諸国の人々の戦争犠牲者に対する責任問題を、自ら検証し自ら引き受けようとしなかった。これでは死んだ人々の霊は浮かばれないし、近隣諸国の信頼を勝ち取ることもできない。
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