橋本裕の日記
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2006年07月16日(日) 新聞の戦争責任

 7/14の朝日新聞の「新聞の戦争責任」の記事を注意深く読んだ。戦時中、朝日新聞は戦意高揚の先頭に立ち、国民を戦場へと鼓舞し続けた。その責任は甚大だ。今回の記事は、この点に触れ、割合率直に自己批判している。

<先の戦争と、それに至る過程で、朝日新聞をはじめ報道機関は、真実を伝える使命を果たさなかった。軍部の圧力に屈し、大本営発表を拡声器のように伝え、国民を戦場に駆り立てた。どこで間違えたのか。朝日新聞の過ちは、みずから何度でも検証し直さなければならない重い課題だ>

 その姿勢は、<見失った新聞の使命、反省を「今」につなぐ>というメインの見出しにもうかがえる。他の見出しも紹介しておこう。

<社論曲げ、戦争協力の道へ>

 1931年10月1日の大阪朝日の社説は、「満蒙の独立、成功せば極東平和の新保障」と言い切る。
   
<「散華」士官、予想外の戦意高揚効果>

  岩田豊雄(獅子文六)に「九軍神ではどうか。材料は海軍情報部が出すから」と、新聞小説「海軍」の連載をすすめ、これが大ヒットした。大本営海軍報道部、平出大佐は「誠に時宜を得たる意図にして欣快に堪えず」という談話が朝日に掲載された。

<虚偽の軍発表、そのまま報道>

<戦果を誇張、好戦一色の紙面>

<漫画や戦場・兵器写真、子供も照準>

<英霊を利用、「命」無視の終幕へ>

 今回の朝日新聞の自己批判を好意的に受け止めたいところだが、「なぜ、社論を曲げて軍部礼賛に走ったのか」についての分析ができていない。軍部の圧力があったからというのは言い逃れで、発行部数躍進のために進んで戦争協力したのが実態ではないか。商業誌としての営利主義が根本にあったように思われる。

 たとえば、朝日新聞の総販売部数をみると、昭和5年には168万部だったのが翌6年には143万部に落ち込んでいる。これは戦争に慎重な朝日に対して広告の停止や軍部・右翼主導の「不買運動」が功を奏したためと思われる。

 ところが「戦争賛美」に転換したあとは、うなぎのぼりに部数を増やしている。5.15事件があり、犬養首相が殺された昭和7年の発行部数は182万部だ。22.6事件が起きた昭和11年は230万部。昭和15年には初めて300万部を突破し、敗戦もおしせまった昭和19年には370万部まで売り上げを伸ばしている。

 これは朝日新聞が全社を挙げて、戦争を賛美し、威勢よく国民をあおりつづけた結果だ。新聞社にとって、戦争はおいしいごちそうだった。多くの新聞は戦後はすばやく左派に衣替えして、こんどは民主主義の旗を振ることで部数を伸ばした。朝日新聞のこの営業本位の体質は戦後も変わっていない

 ところで、7月5日、北朝鮮がミサイルを発射した。発射が確認されたミサイル7発のうち、長距離のテポドン2号は1発で、残りの6発は旧ソ連型の短距離ミサイルだった。発射されたミサイルは、ロシアのウラジオストクに近い排他的経済水域(200カイリ水域)の中に墜ちたようだ。

  しかし、当初、ミサイルが何発打ち出され、どこに到達したのか情報が錯綜した。あるテレビは北海道沖だと言い、後に「日本海」と訂正されたが、情報があまりに曖昧だ。この点について、私が参加している「戦争を語り継ごうML」で、Nさんが次のように指摘している。

<しかし今回の北朝鮮の弾頭無装備のミサイル発射については、朝日も、読売も、毎日も、産経も、NHKも、いっせいに「北朝鮮ミサイル発射、日本海に着弾」と報じました。冷静に「ロシヤ近海に落下」と報じた日本のメディアはあったでしょうか?>

 たしかに新聞やテレビのこの曖昧な報道が、国民を不安に陥れ、その後の強硬な世論を誘導した可能性は否定できない。この問題をしっかり検証する責任が日本の報道機関にある。こうした地道な取り組みが<反省を「今」につなぐ>ということだ。

 なお、7月5日のニューヨークタイムスの社説は、テポドンを含む今回のミサイル発射実験について「(他国に)直接の脅威を与えていないし、国際条約にも違反していない。だから、アメリカやその他の国は、この発射実験によって、北朝鮮を軍事攻撃する正当性ができたと考えることはできない」と書いている。日本では政府要人が「先制攻撃論」まで口にしているが、もうすこし冷静になって欲しい。

 今回の朝日新聞の「新聞の戦争責任」の特集記事には、「過誤を鏡にして」と題して、藤森研編集委員が次のように書いている。

<たとえば、近隣国などへの憎悪や悪意をあおることが、いかに危険なことか、あるいは、権力者の発表を検証せずに報じることが、いかにその後の歴史に無責任となりうるのか。新聞の戦争への責任は、過去の話ではない。自戒したい。>

 新聞をはじめとする報道機関は、先の戦争と、それに至る過程で犯した誤りをもう一度思い起こす必要がある。自ら検証して真実を報道するという姿勢は、まだまだ弱い。日本のマスコミの将来が心配だ。私は以前の日記(「戦争とマスメディア」に掲載)に、次のように書いたことがある。

<日清戦争で「朝日」と「読売」は熾烈な販売競争をした。そしてその後、戦争のたびに人間の生き血を吸って図体を大きくした。敗戦でドイツの新聞社はすべて倒産したが、日本の新聞社は一社も倒れなかった。

 戦争を賛美し、国民を扇動し、ときには政府や軍部まで「てぬるい」と噛みついた新聞社が、戦後になって、どうしてまともに軍部や天皇の責任を問えるだろうか。それどころか、またそろそろ戦場の血の匂いが恋しくなってきたようだ>

 朝日は昭和20年11月7日になってようやく「国民と共に立たん」という社告を載せ、「幾多の制約があったとはいえ、真実の報道、厳正なる批判を十分に果たし得ず、またこの制約打破に微力」だったことを反省し、社長以下重役が総辞職して責任を取ることを明確にした。

 しかしこれも、わずか33行の文章で、一面下方に小さく目立たないように掲載されただけ。自らの戦争責任にふれた内容はきわめて抽象的な一般論でしかない。しかも、数年後、辞職したはずの村山社長は会長に返り咲き、さらに社長に復帰して、昭和39年まで経営の実権をにぎっている。上層部の辞任劇は国民を欺くための茶番劇だったわけだ。

 日本の新聞が問われているのは「戦争責任」だけではない。戦争の責任を曖昧にした「戦後責任」もまた、厳しく問われている。この点の認識がどれほどあるのか、今回の朝日の記事にはうかがえなかった。

参考サイト
http://tanakanews.com/g0707korea.htm

http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/masmedia.htm


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