橋本裕の日記
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2006年07月04日(火) 鏡の不思議な力

 三種の神器といえば、鏡と玉と刀だ。これが何を象徴するのか。鏡は「曇りのない明晰な知」であり、玉は「まろやかで美しいまことの情」であり、刀は「切れ味の鋭い断固とした強い意志」を示している。つまり、「知、情、意」の象徴ではないのかというのが私の考えだ。これは以前に日記に書いた。

 先日、ロバート・キヨサキの「金持ち父さん、貧乏父さん」(筑摩書房)を読んでいたら、刀と玉と鏡について、また違った解釈がしてあった。その部分を引用してみよう。

<刀は武器の力を象徴している。アメリカは武器のために毎年何百億ドルものお金をつぎこみ、それによって世界最強の軍事国家の地位を保っている。

 玉はお金の力を象徴している。「黄金律を忘れるな。黄金を持つものがルールを作る」という格言にはたしかに一理ある。

 鏡は己を知ることの力を象徴している。日本の古くからの言い伝えによれば、この「己を知る」ことこそが三つのうちで最も大きな力を持っている>

 刀は武力であり、玉は経済力、鏡は「己を知る力」だというのは、これはこれでなかなか説得力がある。戦争をする場合、大切なのは武力と経済力、それに「敵を知り、己を知ること」だろう。武力だけで勝とうすると、かっての軍国主義日本のように惨敗する。

 一番大切なのは、鏡に自らを写してみること、つまり「自らを知ること」である。古代の日本人は鏡を神のごとく尊重したが、それは鏡がもつこの大切な機能をよく理解していたからだろう。鏡を見ることで、私たちは原点に立ち戻り、「自分の心の声」に耳を傾けることができる。つまり鏡には内省を導く力がある。

 鏡が「知力」だというのは私と同じ解釈だが、刀が「武力」であり、玉が「お金の力」だというのは、キヨサキさんらしい解釈である。キヨサキさんはこれを父親に教わったという。たしかに、刀と玉を素直に解釈すれば、そういうことになる。

 国にとって大切なものは何か。一つは国を守るための「軍事力」だろう。それから国民を食べさせるための「経済力」が必要だ。しかし、これだけではその国は立派な国だとはいえない。「文化」がないからである。

 かって日本は「軍事大国」をめざした。戦争に負けてからは「経済大国」をめざした。しかし、これからの日本は「文化」を尊重し、育て上げることに力を注いではどうだろう。そうすれば日本は世界から尊敬される文化国家になれる。「鏡」を神として祀ったかっての日本人の叡智を、もう一度蘇らせたいものだ。


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