橋本裕の日記
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2006年06月22日(木) 坂口安吾の思い出

 坂口安吾の「堕落論」に出合ったのは、高校三年生のときだ。受け持ちのA先生が脳溢血で倒れられて、そのかわりに大学出たてだという若いW(渡辺)先生が、私たちの国語の授業を受け持つことになった。

 この先生の授業は、知的でユーモアがあり、とても楽しかった。そこで、もっといろいろ話を聞きたいと思い、葡萄酒を一本持って、先生が一人暮らしをしてるアパートを訪れた。先生の部屋は沢山の本であふれていた。

「何か面白い本を推薦して下さい」というと、「坂口安吾の堕落論が面白いよ。これを読んでみてごらん」と一冊の文庫本を貸してくれた。家に帰ってさっそく読んでみたが、これがまた最高に面白かった。

 最近、元宮内庁記者の板垣恭介さんの書いた「明仁さん美智子さん、皇族やめませんか」(大月書店)という本を読んでいて、そこに坂口安吾が引用されているのを発見した。少し引用してみよう。

<いまだに代議諸公は天皇制について皇室の尊厳などと、馬鹿げきったことを言い、大騒ぎしている。天皇制というものは日本歴史を貫く制度であったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。

 支配者たちは、自分自らを神と称し絶好の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼らは天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令をしていた。

 去年終わった戦争だって、軍人が戦争を進めるという自分達の意志を、神に祭り上げた天皇の名のもとに人民に号令していたではないか>(「続堕落論」新潮社)

 坂口安吾の「堕落論」は私に「読書とはこんなに面白いものだ」ということを再認識させてくれた。同時に、先の大戦や、天皇制の問題を考える契機を与えてくれた。あらゆる権威から自由になってものを考えることの大切さを、その痛快さを、私は坂口安吾を読むことで学んだように思う。

 W先生の家にはその後も何度もお邪魔した。いつか、私の中でW先生が坂口安吾に重なっていた。それにしても大学受験を目前に控えながら、塾に通うこともなく、受験勉強に追われることもなく、贅沢な読書をし、人生や社会の問題をいろいろと考えていた。少し風変わりな受験生だった。

 私が大学を卒業するときには、「母校に帰ってこないか」と、W先生には就職の心配までしていただいた。そのころ、W先生から何度かいただいた手紙はいまも大切に持っている。青春時代によき教師に出会えた私は幸せ者だった。


橋本裕 |MAILHomePage

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