橋本裕の日記
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2006年06月18日(日) |
国債償還の危険なシナリオ |
昨日の日記では、国債を償還する現実的な方法の一つとして、1500兆円の個人金融資産を原資にする方法があることを述べた。これらの金融資産が形成された背景に、巨額の国債発行があった。
国債発行は国から国民への所得移転である。これを一部、国に返却してもらおうというわけだ。しかも遺産相続というタイミングであれば、現役世代が不利益を受けるわけでもない。不動産や有価証券をこの対象から除けば、必要な遺産は相続されるわけだから、遺族側にも不満は起こらないだろう。
国債は国から国民への贈与である。この贈与は、国民からすれば一種の「投資」であった。その投資はおおむね成功し、国民はこれによって巨額の個人金融資産を形成した。したがって、恩恵を享受した人たちは、いままさに国を去ろうとする時、その一部を国に返却してはどうだろうか。これで日本の未来は一気に明るくなる。
しかし、現在政府が考えているのは、負担を国民全員に押しつけ、あくまで税金で国債を償還しようという方法である。これもまた一見まともなことのように思えるが、これまで述べてきた経済学の知識を活用すると、如何に危険な方法かわかる。
家計であれば借金を返済するために、倹約をするのは当然である。しかし、国の経済と家計とは違う。これを同一視するところに錯誤がある。国民や政治家だけではなく、高名な経済学者や、財務官僚までこの錯誤に迷い込んでいる。
緊縮財政のもとで政府支出を減らせば、その分の国民所得は減少する。さらに国債や地方債を返済するために増税をすれば、その分の国民所得も減る。一部は預金の取り崩しで埋め合わされるだろうが、それはほんの一部でしかない。
国民所得の減少は、購買力の減少となり、企業の売り上げは落ち、経済規模は縮小する。このことが税収の減少を生むので、政府はさらなる倹約と、支出の抑制に追い込まれる。そしてこの過程が再生産され続ければ、国民経済は破綻し、政府は国債を償還するどころではなくなる。
国が倹約して支出を切りつめた上、増税までして巨額の借金を返済しようとすれば、国民経済はカネ不足に陥り、国家破産という危機的なシナリオも現実味を帯びてくる。ところが、おなじ増税でも、株式を除く金融資産に限定した相続税の強化であれば、国民経済上こうした混乱はおこらない。
国民の貯蓄が取り崩されても、もともと凍結していたカネだから、国民経済に与える影響はない、これによって企業の売り上げが減るわけでも、国民所得が減るわけではなくて、ただ銀行口座の数字が書き換えられるだけだ。
さて、相続税強化の他に、国債償還の有効な方法はないだろうか。実はもうひとつ、ずるい方法がある。それは国債を日銀に引き取らせることだ。つまり、中央銀行が国民にかわって政府の借金を引き受けるのである。中央銀行は国民の所有する国債を引き取り、その額の紙幣を印刷して渡すわけだ。
紙幣の安易な増刷は円の価値を落とし、インフレーションを亢進させかねない。政府の借金は帳面の上だけのことで、もはや返済や利払いに苦しむことはなくなる。それだけに、政府による安易な信用拡大に道を開き、モラルハザードの原因にもなりかねない。この副作用があるので、政府もよほど追いつめられなければこの劇薬は用いないだろう。
しかし、私は現在でも一部の国債は日銀が引き受けてもよいのではないかと思っている、たとえば90兆円の外貨準備高などは、他国と同様に、日本でも中央銀行(日銀)が管轄すべきものだろう。これを政府が管理するのは、外交上のとりきめで経済を縛ることになり、市場経済の原則にも違反している。
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