橋本裕の日記
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計算問題は得意でも、証明問題が苦手だという学生が多い。なぜ嫌いか聞いてみると、「そんなこと、思いつかないから」だという。公式を暗記し、練習問題をこなす忍耐力があれば、計算問題はだれでもできるようになる。しかし、証明となるとむつかしい。
二等辺三角形の底角が等しい証明でも、中線が引くことが思いつかない。図形の証明問題は適当な補助線を引くことで解決することが多いのだが、この「適当な」というのがくせ者である。これをどう発見するか、理詰めではいかない。
教科書をみると、「AならばB、BならばC、よってAならばCが成り立つ」ともっともらしく書いてある。たしかにその通りで、証明されてみれば、A→B→Cという流れは必然のように見える。
しかし、これも多分にコロンブスの卵であり、最初から自明というわけではない。そもそもCを証明するのに、Bへ寄り道することが思いつかない。さらに複雑な問題では、この連鎖がもっと長くなる。A→B→C→D→Eというぐあいだ。
A→B→Cの場合でも、私たちはBを発見するために、いろいろと試行錯誤を繰り返している。さんざん失敗したあと、Bを見つけて、天にものぼる気持になる。しかし、答えには試行錯誤の部分は書かない。ただ、A→B→Cとだけ、何食わない顔で書く。
実は数学が得意な生徒は、この「試行錯誤」が面白いわけだ。あれこれ考え、ときには考えあぐねてあきらめるが、しかし何だかくやしくて、またいつの間にか、無意識にあれこれ考えている。そして、あるとき、何だか天啓のように解決法を思いつく。
私は生徒たちに、「証明問題は答えがわかっているからありがたい」という。結論がわかっているのだから、そこから逆にたどることができる。実のところ私たちはA→B→Cのようには思考しない。むしろ、C→B→Aという具合に、結論から媒介項Bを類推する場合が多い。そしてBを発見したあと、A→B→Cと澄まして答えを書くわけだ。
だから、教科書の解答をいくら眺めても、どうしてAからBが出てきたのかわからない。Aから考えると、選択肢があまりに多い。ところが、Cから眺めると、そうたくさん選択肢があるわけではない。試行錯誤の回数は少なくてすむ。
これは人生でも同じだろう。私たちはたくさんの選択肢を持っている。しかし、目標を持つと、その選択肢は狭められる。目標から逆算して、現在すべきことがあきらかになってくるからだ。しかし、そのようにして定められた人生を歩むことが幸せにつながるかどうかわからない。人生には定められた結論がない。
科学者の逸話を見てみると、彼らの偉大な発見も、多くは偶然の産物であることがわかる。つまり、一つの成功の背後には100の失敗や試行錯誤がある。失敗を恐れず、いろいろとやってみること、成功の秘訣は、この試行錯誤をたのしむことだろう。
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