橋本裕の日記
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数学は思考力を養い、論理的な人間を育てるといわれている。たとえば、数学の基本に「三段論法」がある。これを私たちは学校で習う。
(A)「すべての人間は死ぬ」(大前提) (B)「シーザーは人間である」(小前提) (C)「よって、シーザーは死ぬ」(結論)
これを使えば、私たちはA、Bという二つの命題から、Cという結論を導くことができる。A、Bが正しければ、Cもまた正しい。数学者にみならず、私たちもまたこうした手順でものを考えている。「三段論法」は私たちの思考が従っている法則を意識化したものだ。
しかし、多くの人は、学校でこれを習ってもそれほど感激もしないし、驚かないだろう。「大前提」と「小前提」から「結論」が導かれると教えられても、「ああ、どうやらそのようですね」というくらいの感想で終わる。数学の他の定理とどうように、あまり、痛切に響いてこない。自分の人生と関係のないことだと思っている。
しかし、アリストテレスは「学問は驚嘆から生まれる」と書いている。「三段論法」もまた、実は多くの「驚嘆」を含んでいるはずだ。この真理がどれほど有用な真実を私たちにもたらしてくれるか、その威力のほんの一端でもよいから、生徒に示してやるべきだろう。
それにはちょっとした工夫をしてみればよい。たとえば、「三段論法」の例文を次のように書き換えてみよう。
(A)「すべての人間は死ぬ」(大前提) (B)「私は人間である」(小前提) (C)「よって、私は死ぬ」(結論)
だれでも経験的に人はいずれ死ぬことを知っている。しかし、これはあくまでも「普遍的真理」であり、「一般的知識」である。このことと、「自分が死ぬ」という自覚の間には、大きな隔たりがある。
「三段論法」はこの溝を一気に埋めて、一般的真理を私たちの現実世界にもたらしてくれる。「三段論法」を体得することで、私たちは抽象的な真理を、現実のものとして具体的に掴むことができる。
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