橋本裕の日記
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昨日は、妻と長女と私の3人で、長女の車で福井へ行ってきた。まずは、田舎の墓参りをした。寺の近くの店で花を買うつもりだったが、あいにくそこに置いてなかったので、3人で野花を摘んだ。
白と黄と赤の3色の花をそれぞれ3人が持ちよって、父や祖父の眠る墓の前に供えた。杉木立をわたる初夏の風に吹かれて、墓前の野花の茎がゆれ、清楚な花の香りが漂うようで、なかなか風情があった。なんとなく伊藤左千夫の「野菊の墓」という小説を思い出した。
毎年夏に墓参りをしているが、母が福井大学病院に入院したので、今年はそのお見舞いをかねて早い墓参りである。墓の前で、一家3人が心をあわせて、「母の肝炎が治りますように」と祈った。墓の中の父も肝炎から肝硬変になり、最後は肝臓癌で死んでいる。母が入院したのも父と同じC型肝炎である。
母のことを父にお願いしたあと、近々行われる次女の就職試験のこともお願いようかと思ったが、これはやめた。あまり一度にお願いすると父も大変だろうし、まずは母のことを優先させようと思ったからだ。次女のことは妻や長女がお願いしたかもしれない。
墓参りのあと、福井市のヨーロッパ軒でいつものソースカツ丼を食べた。それから、丸岡町にある福井大学の付属病院へ行った。インターフェロンの治療を受けていたので、薬の副作用が心配だったが、母は意外に元気そうだった。
母はずいぶん前に妻がプレゼントしたパジャマを着ていた。小さな携帯ラジオを枕元に置いて、音楽を聴いていた。感染症の予防のためらしく、マスクをしていたが、声がしっかりしていた。
「熱があんがい早くおさまってくれたの。食欲はあいかわらずちっともないのよ。でも、経過は順調だから、心配しないでね」
妻と長女が衣類とお見舞いのお金を渡した。私も封筒に入れたお金を渡した。私の渡した5万円はこの夏にセブへ行ったとき、ダイビングの免許を取るために貯金しておいた分だった。出がけにそのお金があるのを思い出して、持ってきたのだが、母の笑顔をみて、よかったと思った。
もう20年ほど前に、祖母が入院をしたとき、病室に入る前に、母は私に1万円札を出して、「これをおばあちゃんにあなたから渡してあげて」と言った。私は母に言われるまま、病室で祖母にそれを渡した。「こんなことしなくていいのに」と言いながら、それでも祖母は目に涙を溜めていた。
私は自分の不人情が恥ずかしかった。考えてみると、社会人になってからも、私は母からはいろいろと金銭的な援助を受けたが、こちらからお金を渡したことはなかった。
「うちも、来年は次女が大学を卒業するから、だいぶん楽になる。これからは、少しくらいはお母さんにもお小遣いがあげられるからね」と言うと、母はうれしそうな顔をして、「それじゃ、せっかく長生きしないといけないね」と笑っていた。「風樹の嘆」という言葉がある。手遅れにならないうちに、少しは親孝行しなければと思った。
(風樹の嘆……樹静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たず)
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