橋本裕の日記
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2006年06月02日(金) 偶然を科学する

 物理学者はこの世界がある限られた素粒子からできていることをつきとめた。たとえば、一個の陽子のまわりを一個の電子がまわってできているのが、「水素原子」といった具合である。

 しかし同時に20世紀の科学は、物質の世界の根底に「偶然」が存在することを発見した。量子力学の創設者の一人で、ノーベル賞を受賞したハイゼンベルクはこれを「不確定性の原理」という法則によってとらえた。

 たとえば、陽子のまわりを回っている電子の「位置」と「速度」を私たちは同時に正確に観測することができない。これは観測装置が出来損ないだからではない。自然の本性がそのような「不確実性」を帯びているからだと考えられている。

 たとえばここにウラン234原子が一個あるとする。これは放射性元素で、α線という放射線を出して、およそ25万年でその半分がトリウム230という物質になる。そこでこの25万年をウラン234の半減期とよぶわけだ。

 しかし、一個のウラン234原子に注目したとき、この原子がいつ崩壊してトリウムになるか、科学者は予言できない。それは今日かも知れないし、100万年後かもしれない。ただわかるのはウラン234が25万年後まで生き残っている確率は半分だということだけだ。ちなみにラジウム226の場合は1600年で、半分がラドンになる。

 これは原子の世界の話だが、私たち人間の場合も同様である。現在日本人男性の平均寿命は78歳だというが、これはあくまで「平均値」である。私は今日にでも心筋梗塞で死ぬかも知れないし、10年後にアルツハイマーで死ぬかも知れない。あるいは、あと44年生きて、100歳まで生き延びるかも知れない。

 アインシュタインは「神はサイコロを振らない」という言葉を残したが、現代の物理学者の多くは「神はサイコロを振っている」と考えている。サイコロで物事が決まるというと、何やらいい加減のようだが、実はそうでもない。たとえ偶然の産物でも、統計を使うと、この偶然性にも法則性が見えてくる。

 たとえば、サイコロを振るとき、何の目が出るかはわからない。しかし、1の目が出るのはおよそ6回に1回くらいだと予測がつく。つまりその確からしさ(確率)は、1/6ということになる。それでは、二個のサイコロを同時に振ったとき、目の和が10になる確率ははどのくらいだろうか。その答えは1/12である。

 なぜなら、2個のサイコロを振ったとき、その目の出方は6×6=36通りあり、目の和が10なるのは、(4,6)、(5.5)(6,4)の3通りだからだ。よって、3/36=1/12なわけだ。

 最初にこうしたアイデアを思いついたのはイタリアのカルダノ(1501〜1576)で、「サイコロ遊びについて」という本を書いた。この本に、サイコロを2つ投げて,その目の和に賭けるとすれば、7に賭けるのがいちばん有利だと書いてある。彼は優秀な数学者で、3次方程式、4次方程式の解の公式も発見しているが、この数学の才能を生かして、賭博で生計を立てていたらしい。

(参考サイト)
http://aozoragakuen.sakura.ne.jp/taiwaN/
taiwaNch01/node68.html


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