橋本裕の日記
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2006年05月24日(水) |
アルツハイマーのAさん |
妻の畑仕事仲間で、お師匠さん格のAさんが、アルツハイマーで1年ちょっと前に、施設に入所した。妻が入手した頃見舞いに行くと、「わしも、いっしょに帰る」と、そればかりだったそうだ。
それをふりきって部屋をあとにし、外に出てから振り返ると、鉄格子のはまった窓からじっと外をみていた。とても可哀想でみていられなかったという。家庭の事情もあったのだろうが、もうしばらく家においてあげればよかったのではないか。
Aさんは畑仕事をしていても、「いろいろやることがあって、いそがしい」というのが口癖だったが、施設に入っていても、「こうしていられない。いろいろ仕事がある」と言っていた。もちろんそんなに仕事があるわけではない。夫が生きていて、まだ子供や孫の世話をしていたころの自分と錯覚しているのだろう。
Aさんが入所したことは、妻がAさんの家に電話をしてわかった。Aさんが一週間以上畑に姿を見せないので、心配になって電話をすると、娘さんからAさんが施設に入ったことを知らされたという。
そのだいぶん前から、Aさんは記憶力が少しずつ減退していた。畑に種を蒔いたことも忘れて、また同じ種を買ってきて蒔こうとしたり、畑の地代を払ったことも忘れて、世話係をしている妻の所に何度も持ってきたという。
妻が畑を始めたころは、このAさんが畑の世話係をしていた。妻とは10年以上のつき合いなので、多少ボケても、妻の名前と顔だけは忘れなかったが、新しく入った人のことは忘れていて、「なんで、この人が私の畑にいるの」と妻にきいたそうだ。
「あなたが自分でこの人に畑をわけてあげたのよ。畑仕事を減らしたいって言っていたでしょう。それで、この人に半分やってもらうことにしたの」 「ああ、そうだったか」 「ええ、そうなのよ」
こんな会話をして、その日は納得するのだが、明くる日になると、また同じ質問を妻にする。入所する少し前には、他人の鋤や鎌まで自分の小屋にしまっていた。妻がAさんの小屋を覗くと、妻の分も入っていたという。
たしかに、こうした人と一緒に暮らしているのは大変かもしれない。家族にはAさんを施設に入れなければやっていけない事情があったのだろう。それでも、別れ際のAさんの辛そうな表情を思い出すと、妻は割り切れない思いだったという。
ところが最近妻が見舞いに行くと、もうすっかりAさんは落ち着いていた。妻の顔を見ても、「いろいろしなければならないことがあって・・・」と口にしたが、特別家に帰りたそうなそぶりも見せなかった。実のところ、妻のことをだれだか分かっていなかったのではないかという。
アルツハイマーは初期の段階が、いちばんつらいのではないだろうか。周囲ともいろいろトラブルが起こり、本人も不愉快にちがいない。Aさんの場合、かなり高齢だから、本人は単なる老人性の呆けだと思っていたようだが、アルツハイマーと知らされていたら、さらにつらい思いをしたかも知れない。
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