橋本裕の日記
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2006年05月23日(火) 映画「明日の記憶」

 先日、妻と映画館で「明日の記憶」(堤幸彦監督)を見た。映画が終わったあと、いつものようにエンディング・タイトルが流れている最中に席を立とうとしたが、ほぼ満席の観客がだれも動かない。私もまた座りなおした。それだけ、人々に感銘を与える映画だった。

 若年性アルツハイマーで、働き盛りの男が記憶をなくしていく不安や葛藤、その悲しみを乗り越えようとする夫婦の愛情がよく描かれていた。渡辺謙の入魂の演技もよかったし、思い出の陶芸をからませたストーリーもさわやかで秀逸だった。最後、妻を識別できなくなるシーンは、ちょっと悲しいが、しかし、これもなにかほっとした安らぎを感じた。

 陰々滅々とした結末ではなく、爽やかな自然の風を感じさせるエンディングだ。昨日、書店で原作の小説を立ち読みしたが、原作のほうも同じシーンで余韻を残して終わっている。「明日の記憶」という題名の由来は分からないが、「明日」には未来志向の明るさが感じられる。

 アルツハイマーになっても、すべての人間の能力が失われるわけではない。些末な記憶はどんどんなくなるかわり、自然の香りに敏感になり、木洩れ日の美しさに感動する心はより深くなるのではないだろうか。

 末期の目という言葉がある。主人公が最後に目にする人生の姿もこれに近いものだ。アルツハイマーという病気が、ただの厄災ではなく、これまでの人生を写し出し、将来をも写し出す鮮やかな鏡になっている。

 最後に記憶を失った主人公が、妻を初対面の女性だと思って、「夕焼けが美しいですね」と挨拶がわりに口にする。浮き世の記憶を忘れて、最後にこういうセリフを残して死んで行けたら、これはこれで幸せなことではないか。

 なお、渡辺謙さんはこの映画について、糸井重里との交換メールにこう書いている。

<何だか、不思議な映画に育ってます。撮っている時よりも、仕上げをしている時よりも、そして今でも見るたびに受け取る感覚が違うんです。百回以上見ているのに・・・。育っていくんです。見終わった自分の心の中で。もしかしたら、そんな風にお客さんにも伝わってくれたらなあ、そんな風に思っています。

 現在、アメリカ他、諸外国でも配給する為の準備をしています。習慣や価値観が違う外国で、何故見せたかったのか、この映画を作ろうと最初に思ったときの様に僕は無策でした。熟慮した上の行動ではありませんでした。「何か伝わるかも・・・」それだけでした。

 こちらで字幕つきの試写会をしました。普通のお客様です。何故か、日本と同じリアクションでした。何か暖かいものを受け取ってくれていました。僕の漠然とした思いが、間違っていなかった。“生きる”ということに関しては、どの年代も、人種も、国境も越えられるのかもしれない・・・>
http://www.1101.com/ashitanokioku/2006-04-04.html


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