橋本裕の日記
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2006年05月22日(月) |
強者の愛国、弱者の愛国 |
若い頃はだれしも愛国心の罠に落ちそうになるものだ。何故なら、思春期というのは自我が芽生え、劣等感や孤独感にゆれうごく、感受性の豊かな時代だからだ。
何かに拠り所を求めようとするわけだが、家族にも学校にも完全に適応できず居心地の悪さを感じたりする。そうしたとき、宗教や国家という、自分より大きな存在に救いを求めることになる。
これは子供に限らず、大人も同じだ。何らかの理由で社会的混乱が生じ、失業率が高まって経済的基盤を失ったりすると、人々は強者にすがりつこうとする。しかし、そうした人々の不安に乗じて、ヒトラーのような独裁者があらわれる。天皇を神とみて、これに絶対服従を誓うようなことがおこってくる。
これはいわば「弱者の愛国」である。自己の劣等感や弱さの裏返しとして、強い国家にあこがれ、この権力とと一体化することで自らの弱さを補償しようとするわけだ。
これとは別に「強者の愛国」がある。これは経済的権力や政治権力を持っている強者が、その権力を維持し、さらに強固なものにするために、下へと働きかけ、強制する愛国だ。
具体的に言えば、教育勅語のようなものを発行して、国民を洗脳するやりかたである。国旗の掲揚や国歌の斉唱を教育現場で強制し、これに消極的な校長や教師を処罰する。
こうした強者の愛国が行われる背景には、これを好んで受け入れる弱者の愛国の存在がある。こうして強者の愛国政策に、弱者の愛国心が呼応するとき、そこに強力な愛国主義のムーブメントが生み出されるわけだ。
グローバリズムが進み、格差がひろがってくると、中間層が没落する。社会不安がひろがり、ここから弱者の愛国が台頭してくる。これを見逃さず、上からの愛国政策が積極化する。さらにこれにジャーナリズムが便乗する。こうしてナショナリズムが復活する。
これが近未来の日本の姿だとしたら困りものである。しかし小泉構造改革が継承され、格差政策が押し進められるとき、健全な民主主義の基盤がさらに失われて、これからますます社会の右傾化が進むことになるだろう。
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