橋本裕の日記
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2006年05月10日(水) 人生を創るコミュニケーション

  昨日の日記で、堅実な生き方とは、「何か得意なことをつくり、専門性を伸ばす生き方」だと書いた。そして、「収入は大切だが、世の中には他に大切なものがたくさんある」とも書いた。生きていくのに収入の他に何が必要か。それは他人と対話し、意志を通じ合う能力、すなわち「コミュニケーション力」ではないかと思っている。

 これはただ、必要だというだけではない。人生を楽しむために大切な技術でもある。いくら収入があっても、他者と交流がなく、心を許すことができる家族や友人がいなければ、その人の人生は灰色ではないだろうか。

 専門性を磨き、これによって確実な収入を確保することはよいが、このとき心すべき事がある。それは「専門性の罠」に陥ってはならないということだ。この罠に陥ると、交際する人の範囲が狭められ、視野が狭くなる。いくら学歴があり、技術があっても、コミュニケーション力が欠如していては、人生は楽しめない。

 しかし、専門性を高め、一つのことに秀でるということは、必ずしもコミュニケーションにマイナスになるということではない。むしろ道元禅師も「一法は万法に通ず」と書いているように、その道を極めた人の話は奥行きがあり、他人が聞いても参考になるものだ。

 専門性をもつということは、コミュニケーションの障害になるわけではなく、むしろより個性的で内容のある対話を成立させる要件でもある。専門性を深めることと、豊かなコミュニケーション力を持つことは本来両立し、お互いを啓発し高めあう関係にあるわけだ。

 また、コミュニケーション力は収入を得るためにも必要な技術だ。職場でも必要だし、商売をするとき、顧客を獲得するためにも必要である。有能なセールスマンや、実力のある実業家は例外なくこのコミュニケーションのスキルにすばらしいものを持っている。

 したがって、コミュニケーション力を磨くと言うことは、専門性を磨くとこととならんで、あるいはそれ以上に重要なことである。それは収入を増やす道でもあり、物心両面で人生を豊かにする原動力だと言ってもよい。

 したがって、子供たちに「勉強をして、よい点数をとり、よい大学に進学しなさい」としか教えられない親や教師は失格である。教育においては、コミュニケーション力を磨き、対話力や共感力を養成することこそもっとも大切なことである。そして、これが結局子供たちに豊かな人生をもたらすわけだ。

 問題は親や教師が充分なコミュニケーション力を持たず、彼ら自身が自らの人生を充分に楽しんでいないことだろう。コミュニケーションを軽視して、知識や規律ばかりを重視することは、今日の学校教育の大きな欠点である。ひきこもりが発生するのも、社会や家庭のコミュニケーション力が衰弱しているからだ。


橋本裕 |MAILHomePage

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