橋本裕の日記
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2006年04月28日(金) 多様な生徒たち

 定時制に来る生徒は、多様性に富んでいる。年齢構成だけではなく、生い立ちも、現在置かれている環境も様々である。私のクラスには両親がおらず、施設から通っている子もいるし、片親だけの子もたくさんいる。

 去年、留年した子も2人いる。それから、中学3年生の時、160日以上欠席していた子も6人いて、これは4人に1人の割合だ。今のところこの6人は元気に学校に来ている。

 多様性は学力にも及んでいる。昨日の数学の授業を例に取ろう。分数の計算ドリルのプリントを配ると、10分もしないでできてしまう生徒がいる。一方では30分たっても、まだ半分しかできない生徒がいる。

 一つのクラスにこれだけスキルの違う子がいるのだから、授業展開はよほど工夫がいる。全日制の進学校のような一斉授業は成立しない。黒板で解き方を説明したあと、できないでまごついている子や、半分切れかかっている生徒の傍らに行き、個別指導をするのだが、その間、他の生徒を遊ばせておくわけにはいかない。

 ドリルを解き終えた生徒には解答を与え、自己採点をさせる。間違った箇所を見直しさせ、終わったところで検印を押し、別に用意したプリントを与える。昨日与えたのは、「ルートにひそむ美」という、私が以前この日記に書いた数学エッセーである。さいわい私はこれまでたくさんの数学エッセーをこの日記に書いている。

 大半の生徒が解き終えたところで、このエッセープリントの解説に移る。ルート2という数がどうしてギリシャで発見され、その存在が人々に驚きを与えたか。そして、人々がいかにその神秘に魅了され、古今東西の建築家や芸術家たちはその数をいかに愛してきたか。さらに、現在でも紙のサイズなど、いかに身近に使われているか。こうした話題は私の得意分野なので、状況に合わせて内容をふくらますことができる。

 ドリルのプリントを終えた子たちは私のこの話に耳をかたむける。しかし、これはあくまで余談だから、成績には関係がない。中には私の余談につきあうゆとりがなくて、最後までドリルに頭を悩ませている生徒も数人いる。ほんとうはこうした生徒にもっと付き添ってやりたいのだが、私にはまだそこまでのゆとりはない。


橋本裕 |MAILHomePage

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