橋本裕の日記
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毎月資源ゴミの日に、大量の書物を処分している。おかげで、この2年間で蔵書は3分の1になった。処分した蔵書の中には、私が宝物のようにしていた「ドストエフキー全集」などもある。後ろ髪を引かれる思いだったが、これを棄ててから、蔵書の整理がはかどった。
先日、河出世界文学全集と岩波基礎数学講座を棄てる決心をした。大手の古本屋に電話を入れ、これを引きとってもらおうと思った。できれば他の書物も一緒に引き取ってもらえるとありがたい。これで一気に蔵書の処分がすむかも知れない。
ところが寸前になって、妻からクレームがついた。河出世界文学全集は新婚の頃、何十万円というローンを組んで購入したものだ。苦しいなかで家計をやりくりして買ったものを、ただ同然に古本屋に渡すのは、やはりもったいないというわけだ。
妻の反対で、私の一気に蔵書を0にするという計画はとん挫した。その後遺症で、4月はとうとう資源ゴミの日に本をださなかった。もっともこれは、新学年がはじまって、私にその心理的な余裕がなかったこともある。なにしろ愛着のある蔵書を棄てるということは、かなりの心理的エネルギーが必要である。
現在残っている蔵書の中の大物は、岩波書店の「志賀直哉全集」だが、これは大学時代、母に頼んで近所の書店から注文購入したものだ。私は「夏目漱石全集」もおなじ方法で手に入れた。しかし、これらの代金は支払った覚えがない。正確に言うと、これは父の給料で買ったわけで、所有権は私にはない。
私が大学生の頃、弟はまだ中学生だった。父は警察官をやめて、自動車学校の教員をしていた。父のサラリーで私を金沢に下宿させ、弟を大学の附属中学に通わせるのは大変だったにちがいない。そうした家計をやりくりして、母は高価な文学全集を私のために買ってくれたわけだ。
夏目漱石全集は福井の実家においてあるが、志賀直哉全集はいま私の手元にある。これを処分するわけにはいかないので、福井の実家に返そうと思っている。父が死んで、弟の代になって、家も移転した。なじみのない家でも、夏目漱石と志賀直哉の全集が置いてあれば、なんとなくなつかしい気持もおこるかも知れない。
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