橋本裕の日記
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2006年04月13日(木) 国を滅ぼす愛国心

 12日、自民、公明両党の教育基本法改正に関する与党検討会は、教育基本法の中に、「愛国心」について盛り込むことで合意した。その表現は、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」ということだそうだ。

 私は「愛国心」を法律で国民に押しつけるのは近代法の精神からしても、また憲法に保証された「思想・信条の自由」に照らしてみても、まちがっていると思っている。愛国心は法律で強要して身にそなわるような安易なものではないし、そもそも愛国心にもさまざまなものがあり、その定義も人によって違っている。

 その上、「愛国心」が大切だと我々にお説教する政治家や企業人に限って、汚職や脱税をしていたりしている。平気で伝統や文化を破壊し、わが国土を破壊している。いわば泥棒が「泥棒はいけません」と言っているようなもので、「愛国心」を口にする人間を見たら、まずその人間は「愛国者」でないと見るべきだろう。

 それでは今何故「愛国心」が問題にされているのだろう。それは世の中に利己主義がはびこり、社会が荒廃してきたからだろう。この自分本位な利己主義を克服するのに、「愛国心教育」が有効だと考えられている。

 しかしなぜ、世の中に我が儘勝手なエゴイズムがはびこり、犯罪や脱法行為が幅をきかせているのか。なぜ国民はモラルを喪失しつつあるのか。助け合いの心が稀薄になり、ひきこもりや自殺者が増えているのか。

 もちろんこれは私たちが愛国心を喪失したからではない。むしろアベコベで、こうした索漠とした社会の現実があるから、私たちはこの国や社会に愛着をかんじられなくなったのである。平気で社員をリストラする会社に愛社心を持てと言ってもむりだ。そんな会社の経営者が従業員に愛社心を強要したら、かえって反発するだろう。会社が社員を大切にすれば社員は自然と会社に感謝と愛着をもつはずである。

 政治家に要求されるのは、こうした社会や人心の荒廃がどこから生まれてきているかを正しく分析し、その原因をつきとめて、これを改善することだろう。「愛国心」などという身勝手な精神主義ではなく、社会の現実そのものに目を向けることだ。日本の政治家に一番必要なのは、この国をそのような住みやすい社会にしようという意味の「愛国心」ではないか。

 小泉政権は「痛みをともなう改革」を実行し、人々を生存競争に駆り立て、一握りの勝ち組をつくるために多くの負け組みをつくりだし、日本を深刻な格差社会にした。低所得者は増え、経済的な不平等感がひろがり、まさに今私たちの社会はその安定を失なおうとしている。そして、ここから自然の道理として人心の荒廃が起こってきた。

 したがって、日本を安全で住み良い社会にするために必要なことは、この自由競争の美名ももとに行われている弱肉強食の勝者優遇政策を変えることであって、国民に「愛国心」を強要することではない。また、このような欺瞞に満ちた愛国心へと人々を煽り立てるために、近隣諸国を敵視することでもない。

 このような間違った方策を続けていれば、この国の現実はますます貧しくなり、人々の心はますます荒廃して、好戦的で殺伐としたものになる。日本国民はかって「お国のために死ぬ」ことが美徳とされた。そして無謀な戦争に駆り出された。愛国心が叫ばれるとき、「誰が何のために」それを口にしているのか、冷静に考えるべきだろう。


橋本裕 |MAILHomePage

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