橋本裕の日記
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満州国承認をしぶる犬養内閣にしびれを切らして、海軍の青年士官が立ち上がった。これが5.15事件である。新聞は青年士官たちの行動は批判したが、その心情には理解を与えた。「承認しない政府も問題がある」ということだろう。
これを軽薄と切り捨てる湛山のような意見は少数派で、当時の世論は決起した士官に同情し、一刻も早く満州国が承認されることを求めていた。たとえば毎日新聞は6月1日の社説「満州国への援助、承認が先決問題」でこう書いている。
<直ちに新国家援助の効果的実行手段として、まず新国家を承認し、相互の国家意志によって、事業の遂行に当たるべきことを主張するものである>
朝日新聞も「満州国承認が必要でもあれば、また当面の急務でもある」と書いた。そして6月14日には、衆議院本会議で、「政府はすみやかに満州国を承認すべし」という満州国即時承認決議が「満場一致」で可決されている。
それでも犬養内閣のあとを受けた斎藤実内閣は、満州国の承認をしぶっていた。これによって、日本が国際的に孤立し、列強と摩擦が起きることは避けられなくなるからである。しかし、7月6日に満鉄総裁の内田康哉が外相になってから雰囲気が変わってきた。内田外相は8月25日の衆議院本会議でこう発言した。
<万蒙の事件というものは、わが帝国にとっては、いわゆる自衛権の発動に基づくものであります。それゆえに天下にたいして何らはずるところがない、わが行動はまことに公明正大なものであるという自信をもっているのであります。・・・
わが行動の公正にして適法であるということはこれは何人も争わないところであろうと思う。いわんやわが国民はただいまの森君のいわれました通りに、この問題のためにはいわゆる挙国一致、国を焦土にしてもこの主張を徹することにおいては一歩も譲らないという決心を持っているといわねばならない>
すかさず翌日の朝日新聞はこの外相発言を擁護し、「いかなる結論も現実の事実を無視することを得ないのである」という現状認識を示し、「もはやその信念において動くほかはないのである」と、政府に満州国の「即刻承認」を求めている。
こうした世論に押されて、ついに政府は9月15日、まだリットン調査団の報告が発表される前に、満州国承認に踏み切った。国民はこれを歓呼して迎え、翌日の朝日新聞は、「真に大成功といわねばならぬ」と書き、毎日新聞は「世界史上に輝く、日満議定書調印」と喜びを新たにしている。そして、中国の抗議に対しては、「身から出た錆、悟らぬ支那」と高みから一蹴してみせた。
これに対して、湛山は9月24日、東洋経済新報に社説「満州国承認に際して我が官民に警告す」を載せて反論した。
<第一には我が国の国際的立場の悪化が起こり、第二には満州国国民の反日運動を激成し、第三には我が国自身の経済を損傷する危険が醸成される。なかんずく、我が国軍の駐屯のごときはこの弊害を最も強く醸し出す危険があり、記者の早くより絶対に反対し来ったところである>
しかし、湛山のこの警告は、満州国承認でわきたつ世論にかき消された。その後の日本は湛山の警告通りに進んだ。そして、「国を焦土にしてもこの主張を徹する」という内田外相の発言が、荒唐無稽なものでなかったことを国民はやがて知ることになった。
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