橋本裕の日記
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満州国承認を先延ばしする政府に業を煮やして、海軍の青年士官が首相官邸を襲い、犬養首相を射殺した。軍部の肩を持ち、政府の弱腰に批判的だった新聞も、この暴挙にはこぞって反対した。16日の朝日新聞の社説を引こう。
<言語道断、その乱暴狂態は、わが固有の道徳律に照らしても、また軍律に照らしても、立憲治下における極悪行為と断じなければならぬ。・・・あるいは一図に今の世を慨し、今の政党に愛想をつかし、今の財閥に憤ったからだといっても、立憲政治の今日、これを革新すべきの途は合法的に存在する。短慮にも暴力革命を起こすべき直接行動に出ずることは、その手段において断じて許すべきではない>
軍部の中枢部もこれを遺憾とした。しかしその論調は青年士官を弁護するものであり、同時に自己弁護的である。海軍大臣大角大将は「何が彼ら純情の青年をしてこの誤りを為すに至らしめたかを考えるとき、粛然として三思すべきである」と発言し、陸軍大臣荒木貞夫大将も次のような談話を発表している。
<これらの純真なる青年がかくの如き挙措に出たその心情について考えてみれば涙なきを得ない。名誉のためとか利欲のためとか、または売国的行為ではない。真にこれが皇国のためになると信じてやったことである>
全体の論調は、青年士官たちの行いは間違っているが、その心情については同情すべきものがあり、こうした止むに止まれぬ行為を誘発した現下の社会状況については、政府にも責任があるということだろう。これに対して、湛山は「東洋経済新報」5月21日の社説にこう書いている。
<帝国の軍人が私に団を作り、白昼帝都の諸所を襲撃して爆弾を投じ、ピストルを放ち、あまつさえ首相官邸に乱入して、首相を射殺せりという事件は、ただに我が国において、未曾有のみならず、世界においてもまた、少なくとも近代の文明国家においては、未聞の変象である。そもそも何が彼らを駆ってかかる行動に出でしめたか、けだしその一つは、彼ら個々人の思想教養の浅薄なりしにあろう>
それではなぜ、こうした思想教養の浅薄な行動があたかも英雄的行動としてもてはやされるのだろう。それは社会全般が浅薄・短慮になっているからではないだろうか。湛山の持論は社会が暴力的になりつつあるのは言論の自由がないからだということだ。
<記者はその第一の原因として、毎々説くごとく、我が国における言論の自由の欠如を挙げなければならぬ。けだし言論の自由は、一面において、しからずんば鬱積すべき社会不満を排泄せしめ、その暴発を防ぐ唯一の安全弁なるとともに、他面においてはまた社会の最も強力なる教育手段だ。・・・
わが国においては外交についても、軍事についても、重要なこととしいえば、ほとんどことごとく言論の自由が封ぜられている。ために世の中にどれほど誤れる知識を撒布し、偏狭なる思想を養成し、また社会改造進歩を阻めるか計り難い。思慮浅き血気の青年が往々にして埒を外れた行動に出ずるゆえんあるといわねばならない>
湛山は乱を起こした青年士官にいささかも心情的な同情をよせない。その行動のみならず、思想心情を浅薄幼稚だと批判している。しかし、彼の主張は顧みられなかった。青年士官の行動に同情した世論は、彼らの処罰を軽微なものにする圧力になった。
犬養内閣が倒れた後、5月26日に、元海軍大将の斎藤実が内閣を組織した。そして日本はますます軍人の跋扈する、「言論の自由」のない全体主義国家になって行った。青年士官の思想はますます浅薄幼稚になり、これが2.26事件を誘発し、やがては軍国日本は太平洋戦争へと泥沼に落ちていった。
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