橋本裕の日記
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2006年03月23日(木) 労働選択主義のすすめ

 来年度から「教員評価制度」が全国的に試行されることになり、我が職場でも校長がパンフレットを配って説明した。まず、教員各自が自分で目標を立て、年度終わりにその年の達成度をA,B,Cで自己判定する。

 それを受けて教頭や校長が面接をし、最終的にA,B,C,Dの評価を下し、県教委に報告するわけだ。将来的にはこの評価によって、給与に格差を付けていく。いわゆる「成果主義」の教育現場への導入が始まるわけだ。

 私はこうした制度は、教育現場なじまないのではないかと考えている。「何のために、誰が誰を、どうした基準で評価するのか」がよくわからない。一番大切な職場の和が破壊され、ゴマスリと足の引っ張り合いが横行し、殺伐として非教育的、非効率的な職場が生まれることだろう。生徒のためにも社会のためにもならない。

 といって、私は現在のような年功序列の賃金体系がよいとは思わない。仕事の内容によって賃金格差があるのは認めるべきだし、また、適正な「評価システム」はあったほうがよい。そこで、これらの条件に配慮した橋本私案なるものを、ここに公開しょう。

 まず、私の案では、給与格差をつけるために、上司が部下を評価するというシステムはとらない。なぜなら、この場合は結局上司に協力的かどうかということが評価の基準になるからだ。上司に協力的なことが、本当に生徒のためになるのか、よりよい教育の実践になるのか、大変疑問である。むしろ逆の場合が大きいと思う。

 それでは何によって給料に差を付けるのかといえば、年功序列ではなしに、基本的には「労働実績」によって給料をかえていけばよい。教員の場合は授業時間数によって給料をかえるわけだ。週10時間授業を持つ人もいれば、週20時間の人もいてかまわない。給料がたくさん欲しければ、たくさんのコマ数の授業をとればいい。

 さらに担任や分掌の仕事には授業時間にして2〜6時間分くらいの手当をつける。たとえば、担任は4時間、教務主任5時間といった案配である。基本給10万円、授業1時間1万円として、たとえばAさんの場合で計算すると、次のようになる。

基本給・・・・・10万円
授業手当・・・1万円×14時間=14万円
担任手当・・・4万円
分掌手当・・・2万円
その他(扶養家族手当、通勤費など)・・・8万円
合計給与・・・38万円

 授業を主体にするか、担任でがんばるか、分掌の仕事に生きがいを見いだすか、それぞれ自分の得意な分野でがんばればよい。健康状態や、家族の状態、そして収入と相談して決めればよいわけだ。

 もちろん、これを調整するのは管理職の仕事だ。個人的に希望をきき、案を作って全体にはかり、さらに再度、若しくは再再度調節しなければならないが、その過程で、前年度の評価や実績を加味していけばよい。

 この場合の評価は基本的には下から上に向けて行われる。教員の場合は、授業についての評価は生徒がする。担任についての評価は、該当クラスの生徒がする。主任についての評価は分掌の構成員で行う。この結果を管理職は個人的に本人に知らせ、教師はこれを参考にして次年度の希望を提出し、管理職はこれをもとに案をつくるわけだ。

 もちろん、個人の希望が全面的に満たされることはむつかしい。個々人は職場全体のことを考え、良識にのっとって妥協すべき所は妥協しなければならない。しかし、こうした過程をとおして、より深く自分や職場について考えるようになり、教育者としての自覚や連帯も生まれるのではないかと思っている。

 こうした賃金制度を私は労働選択主義と呼ぼうと思っている。「選択主義」は成果主義には違いないが、労働者を支配し、競争にかりたてるものではない。むしろ労働者の意思を尊重し、その生活を保障するものだ。これなら若者もやる気がおこるだろうし、中高年もたすかり、職場の和が破壊されることもないだろう。


橋本裕 |MAILHomePage

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