橋本裕の日記
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2006年03月18日(土) 哲学的日本を建設すべし

 昭和6年9月に勃発した柳条溝事件は関東軍の全くの謀略だったが、ここから満州事変が始まり、日本は戦争の泥沼へと引き込まれていく。こうした時代の潮流のなかで大新聞が転向し、良心的知識人は沈黙したが、石橋湛山は果敢に抵抗した。

 中国大陸への出兵に対しては、「帝国主義の出遅れであって、引っ込みのつかぬ夜明けの幽霊と一般だ。幽霊に手引きを頼む程危険なことはない」と警鐘をならし続けた。その言論がいかに正鵠を得たものであったか、歴史が実証している。まさに、福沢諭吉が明治の言論界の巨人だとしたら、石橋湛山は昭和の言論界を代表する巨人だと言ってもよい。

 それではなぜ、石橋湛山はこの困難な時代にあって誤らなかったのだろう。それは彼の言論がたんなる時事評論というものではなかったからである。彼の言論の根底には彼の人生観や世界観があった。一口に言えば、哲学があった。

 彼は「東洋経済新報」の明治45年5月号の「国家と宗教および文芸」のなかで、「人が国家を形づくり国民として団結するのは、人類として、個人として、人間として生きるためである。決して国民として生きるためでも何でもない」と述べ、「国家主義」や「専制主義」を否定し、個人主義、自由主義に根ざした民主主義の重要性を強調した。

 そして、彼は単に言論だけではなく、1919年(大正8年)3月1日に行われた「普通選挙法成立を求める日本最初の1万人合法的デモでも、副指揮者として先頭に立った。彼はだだの理想家ではなく、また夢想家でもなかった。当時のだれよりも経済的合理性を重んじる現実主義者だった。

 世の中に威勢の良いだけの理想論や空理空論はいくらもある。しかし、湛山の根底にあるのは、自主独立の精神に立脚した強固な現実主義である。「東洋経済新報」(明治45年6月号)の「哲学的日本を建設すべし」という社論から引用しよう。

<実に我が国今日の人心に深く食い入っておる病弊は、世人がしばしば言う如く、そが利己的になったことでも、打算的になったことでも、ないし不義不善に陥っておることでもない。吾輩はむしろ今日の我が国には、余りに利他的の人多く、余りに非打算的の人多く、余りに義人善人の多いことに苦しみこそすれ、決してこれらのものが少ないとは思わない。

 しからば吾輩の認めて以て我が国民の通弊となす処のものは何か。曰く、今述べたる利己に付けても利他に付けてもその他何に付けても「浅薄弱小」ということである。(略)

 善人ではあり、義人ではあるが、ただ不幸にして彼らの自己なるものが軽薄弱小であるのである。その自己が軽薄弱小であるが故に、彼らは他に気兼ね苦労し、馴れ合いに事を遂げんとし、意気地なき繰り言を繰り返しておるのである。而して断々乎として自己を主張し、自己の権利を要求することができないのである。

 しかしながらここに問題となってくることは、しからば我が現代の人の心は何故にかくの如く浅薄弱小、確信なく、力なきに至ったかということである。吾輩はこれに対して直ちにこう答える。曰く、哲学がないからである。言い換えれば自己の立場についての徹底せる智見が彼らに掛けておるが故であると。(略)>

 あたかも彼らのなせる処は、下手の碁打ちが一小局部にのみその注意を奪われて、全局に眼を配ることができず、いたずらに奔命に疲れて、ついには時局を収拾すべからざるに至らしむるようなものである。吾輩は切に我が国の国民に勧告する。卿らは宜しくまず哲学を持てよ。自己の立場に対する徹底的智見を立てよ。而してこの徹底的智見を以て一切の問題に対する覚悟をせよと。即ち言を換えてこれをいうならば、哲学的日本を建設せよというのである>

 やや力みが感じられるが、これは湛山28歳のときの文章である。湛山は東条英機と同年の生まれだが、軍隊のエリートコースを歩いた東条とは対照的な人生を歩んでいる。湛山はのちに身延山久遠寺法主になる宗教家を父に持ち、11歳で僧籍に入った。他家で修行をつみ、中学校を7年かけて卒業した。

 そして一高に2度受験して失敗し、早大の哲学科に学んだ。早大に進学した彼は「徹底せる個人主義、自由主義思想家」と彼が墓碑銘に記すことになる田中玉堂という偉大な師に出会う。おそらく湛山がこうした道草をせず、一高に合格し、東京帝国大学を卒業していたら、彼は言論界の巨人とはならず、まったく違った人生を歩んでいたのではないだろうか。

 軍国主義、専制主義、国家主義の横行する時代にあって、朝日、毎日といった多くの新聞や言論界が転向する中で、石橋湛山は逆境をものともせず、自由主義、個人主義の立場を崩さず、経済、政治、文化、あらゆる方面で正論を吐き続けた。その炯眼と精神力はじつに恐るべきものだ。


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