橋本裕の日記
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2006年03月14日(火) 中国を敵視するなかれ

 石橋湛山を読んでいると、戦前・戦中に書かれた文章とは思えないほどリアリティがある。そのまま現代日本を批判する言葉として通用しそうだが、これはそれだけ現代の日本が戦前に近づいたということだ。

「週刊文春」(3/16号)によると、麻生太郎外相は昨年12月に訪米したとき、「日本も核武装する必要がある」と述べたらしい。これは国務省、国防総省でそれぞれ行われた会談で、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防相に別個に述べたのだという。

<常任理事国は核兵器をもっている。インドやパキスタン、北朝鮮も持っている。中国や北朝鮮が安全保障上の脅威となるのであれば、日本も核武装すべきではないか>

 麻生外相は3月4日に金沢で行われた講演会でも、国と国とのつきあいを子どもの喧嘩にたとえて、こう語っている。

<やられないためにはどうするか。逃げるか闘うかですよ。他に方法はありません。学校は3年間行ったら卒業できるかもしれない。しかし、国となりゃ、お隣りさんはずっとお隣さんだ>

 麻生大臣には「お隣さんだから仲良くしよう」という発想はない。だから「逃げるか闘うか」の二者択一になる。ところで日本なりアメリカが核兵器で北朝鮮を攻撃したらどうなるのだろう。死の灰は日本にも降りかかってくる。つまり、日本もまた被爆するわけだ。日本が北朝鮮を核攻撃するとき、それは日本が自滅するときである。

 中国敵視の麻生外相がおなじくタカ派の安部官房長官とともに人気を競い、憲法改正を口にして次期首相の最有力候補になっているのが日本の現状である。彼らに限らず、中国を敵視する論調が目立ってきた。こうした傾向も戦前の状況とにている。湛山は昭和6年9月26日の東洋経済新報の社説にこう書いている。

<支那は、我が国にとって、最も古い修好国であり、かっては我が国の文化を開いてくれた先輩国でもある。時に両国の間に戦いの交えられたこともないではないが、それはすこぶる稀な事件であって、過去千数百年の日支の国交は類例少なき親睦の歴史を示した。

 而してこの親睦は、将来もまた永久に継続することが、両国の利益であり、必要であることは疑いない。しかるに最近十数年の両国の関係は、残念ながら大いに親善とはいい得ない。殊にこの二、三ケ月の状勢は、日本が中村大尉事件を騒げば、支那の首脳者は、日本の支那における陰謀を云々するという有様で、感情の疎隔はほとんど極端にまで達したかに見ゆる。而して奉天においてついに遺憾至極の不祥事まで爆発した。何故両国の国交は近年かように円満を欠くか。(略)

 戦いの要道は、敵を知り、我を知るにあるといわれる。これ平和の交際においても同様だ。しかるに我が国民の支那に対するや、彼を知らず、我をも知らず、ただ妄動しているのである。(略)

 即ち満蒙なくば我が国亡ぶというのである。もしそれが本当なら致し方はない。いかなる危険を冒しても、前に挙げたる第一の手段に訴え、支那を抑えて、満蒙を奪取する。こういう結論に導かるるであろう。活力ある国民は、座して死を待ち得ぬだろうからである。しかし記者の意見は、かねて右の人々とは全く違う。(略)

 満蒙はいうまでもなく、無償では我が国の欲する如くにはならぬ。少なくとも感情的に支那全国民を敵に廻し、引いて世界列強を敵に廻し、なお我が国はこの取引に利益があろうか。それは記者断じて逆なるを考える>

 結局日本は中国を敵視し、これを侵略して、欧米の列強を敵にまわし、300百万もの自国民と、2千万人ものアジアの人々に死をもたらしてしまった。こうした悲劇がどうして起こったのか、石橋湛山がいうように、それは国民が愚かだったからに他ならない。

 この愚かさを現代の私たちは笑うことができない。問題は私たちがこの教訓をどれほど学び、このアジア蔑視・敵視の「大日本主義の幻想」からどれほど抜け出しているかということだ。明日の日記で、戦後の石橋湛山の発言を拾ってみたい。


橋本裕 |MAILHomePage

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