橋本裕の日記
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2006年02月28日(火) |
チンギスハーンのY染色体 |
遺伝子は自己複製して増殖する。現在地上に存在する30億人あまりの男性の細胞の中にあるY染色体も、もとをたどれば、5万数千年まえのアフリカに生きていた、ただ一人の男性(アダム)の体内にあったY染色体が複製を繰り返して、世界中に広まったようだ。
Y染色体はしかし、突然変異を繰り返し、またコピーのたびにミスが重なったりするので、アダムのものとそっくり同じというわけではない。ただ、私たちのY染色体の系図をたどっていくと、最終的に一人の男性(アダム)にたどりつく。
そこまで遡る前に、途中たくさんの枝分かれがある。そして現存する男性のY染色体は、その系統によって、共通の先祖をもついくつかのグループに分けることができる。オックスフォード大学のサックス博士によれば、現在世界最大の勢力を持っているのが、チンギスハーンがもっていたY染色体ではないかという。
タティアナとクリスというオックスフォードの二人の研究者が、モンゴル人の間に大きな割合を占めるY染色体存在が存在することを発見した。そのグループに属するY染色体の共通の先祖を「遺伝子時計」によって割り出すと、約1千年前だという。つまり、そのころに存在した一人の人物がもっていたY染色体が、その後どんどん複製されて広まったわけだ。
さらに驚いたことに、その後の調査で、この同じY染色体が、モンゴル以外の地域に住む人々から次々と発見された。その分布は東は太平洋から、西はカスピ海にいたるまで、アジアの広範囲に及んでいるのだという。そしてこれはまさしく、チンギスハーンによって創設されたモンゴル帝国の版図にぴったり重なっていた。
チンギスハーンは1162年ごろに生まれている。彼はロシア南部、カザフスタン、アフガニスタン、イランを征服し、1227年に死ぬまでに、彼の帝国はシナ海から西はペルシャ湾まで達していた。
彼の死後、4人の息子たちがさらに版図を拡大した。韓国、チベット、中国の大部分を征服した。孫のフビライハーンは中国全土を掌中に収めた。さらにもう一人の孫であるバトゥーハンはロシア北部を征服した。彼はウクライナの首都キエフを破壊し、ハンガリー、ポーランドに進撃して、キリスト教徒の連合軍を撃破した。
モンゴル軍はその後も拡大し、1258年にはバクダッドを攻め落とし、チグリス川をも勢力圏に収めた。モンゴル帝国は世界史でもっとも巨大な帝国だといわれている。
チンギスハーンは無類の女好きだったという。征服された民族は美しい女性は全て彼に差し出さねばならなかった。彼は精力に満ちあふれていて、側近の医者は「たまには一人で寝た方がよい」と助言をしていたそうだ。サックス博士はこうした状況を踏まえて、「アダムの呪い」に次のように書いている。
<現在、各地域に広まるこのY染色体が、過去数千年のあいだにひとりの男性に端を発していることは、疑いの余地がない。そのうえチンギスハーンが亡くなったときのモンゴル帝国の領域にぴったり一致する場所からみつかっている。となれば、タティアナとクリスが見つけた染色体がチジンギスハーンのものである確率は、非常に高い。
なにより驚かされるのは、いま現在、チンギスハーンの染色体を受けついでいる男性の数である。サンプルが採取された16の地域で、その染色体は平均して全男性の8パーセントから見つかっている。その割合を全地域に適用すれば、いまチンギスハーンの染色体をからだに秘めている男性の数は、千六百万にものぼることになる。
チンギスハーンの染色体ほど成功を収めた遺伝子は、史上、ほかに類を見ないと請け負ってもいい。そのみごとな成功ぶりに、いったいだれが指揮を執っているのか、わからなくなるほどだ。モンゴル帝国が領土と女たちの征服に成功した結果、彼の染色体が繁殖したのだろうか? それともチンギスハーン本人が、みずからY染色体の野心によって突き動かされ、戦でも寝床でも勝利することになったのだろうか?>
アフガニスタンとパキスタンの境界線で暮らすハザラ族には、チンギスハーンの直系だという口承がある。DNAを調べてみると、たしかにハザラ族の場合は男性の3分の1近くがこのY染色体を持っていた。しかも同じ地域に住む他の民族ではほとんどみつからなかった。この民族に限ってこのY染色体が異常に多いということは、この口承がまんざら嘘でもないということだろう。
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