橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2006年02月26日(日) 孤独なY染色体の物語

 小泉さんは「聖域なき構造改革」の仕上げとして、皇室典範の改正を目差したが、「天皇は男系に限るべし」という人々の反撃がすごかった。たしかに天皇家が伝えられるとおり、「万世一系」なら、これは生物学的なサンプルとしてとても価値のある存在かもしれない。

 人間の染色体はふつう46本ある。これについては、1912年、オーストリアの生物学者が男性の細胞から47本、女性の細胞から48本の染色体を発見したと報告している。

 総数が2本違っているのは見誤りだろう。男性の染色体が一本少ないのは、男性が持っている性染色体のXとYのうち、Y染色体はとても小さいくて貧相だったので、見落とされたのに違いない。

 ショウジョウバエの場合は、メスはXX、オスはXだけしか持っていない。つまりオスを決めるのはX染色体の欠如だ。当時は人間もショウジョウバエと同じしくみで性が決まると思われていたことが、この見落としにつながったようだ。

 ふつう、染色体はペアで存在している。人間の場合は23対で46本ある。(ダウン症患者のような例外はある)ペアになっていると生存に有利なことがいろいろある。たとえば片方が壊れても、もう片方を使って修復ができる。

 この点で、XXのペアをもつ女性は男性に比べて生存条件が有利だ。血友病など、男性特有の致死的な病気があるが、これもこの病気の遺伝子がX染色体の上にあるために起こることだ。X染色体を1本しか持たない男性は、性染色体上の遺伝子の代替がきかないので、女性に比べて遺伝情報の面で脆弱な存在だといえる。

 染色体がペアであると、他にも有利なことがある。私たちはそれぞれ23本の染色体を両親から受け継ぐが、そのペアの染色体は私たちの細胞の中でときどき抱擁して、お互いの不良部分を修復したり、パートを交換し合ったりする。

 ペア染色体どうしの抱擁により、染色体上で一部の遺伝子に組み替えがおこることで、染色体は世代を経るにつれて、少しずつ違った内容に更新される。そしてこうした染色体上の遺伝情報の変化の積み重ねが、ときには新しい種を誕生させて、生命に進化現象をもたらすわけだ。

 しかし、Y染色体はX染色体と抱擁できないので、自分を更新できない。つまり、世代交代が起こらず、永遠に自分自身として生き続けるわけだ。たとえば、現在の天皇が神武天応の男系だとすると、神武天皇の細胞の中にあったY染色体は、そのまま現在の天皇の細胞の中に自己複製されて受け継がれているということになる。

 したがって、天皇家がどこまでさかのぼって男系か調べるのは、現代の生物学の技術では簡単だ。昔の天皇の墓から骨のかけらを取りだし、これを現在の天皇のものと比べればよい。男系なら同じ遺伝情報を含むY染色体がコピーされていることになる。

 もっとも、コピーされるときミスが生じたりして、遺伝子も少しずつ変るので、Y染色体の塩基配列はまったく同じではない。しかし、その同じ男系であるあるかぎり変化はわずかであり、他の男系のY染色体とは高度な確率で区別がつく。そこで、男系ということの価値を、こうした遺伝子レベルの自己同一性に求める人も出てくるわけだ。

 しかし、実は、このY遺伝子の他と交わらない孤高なありかたは、生物にとって大きなリスクにもなる。その理由は、コピーミス(突然変異)は少ないと言ってもわずかに存在し、抱擁によってこれが修復されないと、何万年という歳月を経るうちに、そこにそのミスが蓄積され、Y染色体上の遺伝子がどんどん破壊され、欠落していくことになる。つまり、それはまさしく「劣化」するわけだ。

 同じ性染色体でもX染色体は女性細胞の中にあるとき、X同士でペアを組む機会があるので、このような劣化はおこらない。他の染色体と同じく、細胞のなかで、お互いを癒し合う抱擁を繰り返し、体の一部を交換し、新たな存在として再出発できる。だから、世代交代し、自己同一性は失うが、劣化する心配をしないでもすむ。

 私たちはY染色体が劣化したその動かぬ証拠を、現在の私たちの細胞の中に、そのあまりにも貧相な姿に見ることができる。それはもともとX染色体と同じ大きさだった。それがいまや「かけら」のように小さくなり、そしておそらく、この先、ショウジョウバエのように消滅するのかも知れない。

 Y染色体の劣化が、人類の未来に暗い影を落とし始めている。こうしたことについて、くわしく書かれているのが、オックスフォード大学教授のブライアン・サックスの「アダムの呪い」(ソニーマガジンズ)である。少し引用してみよう。

<もともとY染色体は、ほかの染色体と同じ様な、整然とした存在だった。ところが、性別決定という外套を身にまとうようになってから、運命が定められてしまった。それはおそらく、1億年ほど昔、当時世界を支配していた恐竜たちから逃れようと必死になっていた、まだ小さな目立たない生き物だった時代に起きたことだろう。そうした祖先の染色体に突如として現れたひとつの突然変異が、偶然にも男性へと発達させるスイッチを入れる能力を手にしたのだ>

<組み替えの機会を奪われた染色体は、すぐに衰えはじめる。突然変異によるダメージを修復できなくなるからだ。組み替えには癒しの効果がある。最後の抱擁をしているあいだ、ダメージを受けた遺伝子は、ダメージを受けていない染色体にふくまれる健全なパートナーによって修復される。そのあと精子、あるいは卵子へと、べつべつの道を進む。

 そうした手当を受けられない染色体は、どんどん衰えていく。突然変異には害がある場合がほとんどで、そのために遺伝子がつぎからつぎへと殺されてしまう。そのため人間のY染色体は、腐食した遺伝子の墓場となった。Y染色体は自分たちの傷を癒すことができずにいる。これはもはや瀕死の染色体であり、いつの日か絶滅を迎える運命にある>

<Y染色体の歴史的な衰退のプロセスは、まだまだ終わるところではないのである。いまわたしたちのまわりで、着々と進んでいる。驚いたことに、男性の7パーセントが生殖不能症か、それに近いとされる。そのなかのさらに半分くらいの男性、つまり全男性の1〜2パーセントが、Y染色体の突然変異のせいで生殖不能に陥っていると考えられる。これは恐ろしいほど高い数値である>

<男性の生殖不能は、どんどん増えている。顕微鏡をのぞけば、正常な男性と見なされる人間から採取した精子の姿が、見るからに変形しているのがわかる。精子の数は劇的に減っている。人間のY染色体はずっと前から衰退をはじめ、それは今後も続いていくはずだ。そうした傷が蓄積されていくにしたがって、男性の生殖能力はどんどん落ちていくことになる。ひとつ、またひとつとY染色体が消え、やがて残り一つにまでなるだろう。その染色体がついに屈服したとき、男性は絶滅するのである>

<人間のY染色体がどんどん衰えて行くにしたがって、男性の生殖能力は落ち込んでいくはずだ。いくら環境をきれにしても、もはや取り返しのつかないほど>

 Y遺伝子が男性をつくる性染色体になったときから、どんどん劣化が進んだ。そしていまや、「Y染色体を構成している約2300万個のヌクレオチドすべてのDNAを形成する基本的な単位のなかに、わずか78個の遺伝子しか含まれていない」といわれている。

 Y染色体にたよる父系のリスクは大きい。それは現在の皇室の窮状をみてもわかる。これに対して、母系の方は比較的安泰である。なにしろそのつど、強力なY染色体を補給すればよいからだ。ちなみに人類最後のY染色体が滅びるのは、サックス博士の計算によれば、12万5千年後ということだ。生物学的考察にもとづけば、理論上はそこまで女系天皇は可能だということだ。

 父系ということは、こうした遺伝子のレベルから見ても、かなりリスクがあるし、天皇家の「万世一系」というのも、遺伝学上はかなりあやしい神話だといういうことがわかる。

 天皇家の神話より、私は現代科学が明らかにした、もうひとつの真実のほうに心を動かされる。それは現在地上に存在しているすべての男性は、数万年前にアフリカに暮らしていたただ一人の男性「アダム」の子孫だということだ。

 私たち男性がもつY染色体は、そのひとりの男性のY染色体が、何千回も自己分裂してできたものだということがわかっている。つまり天皇家のY染色体も、中国の奥地の農民のもつY染色体も、その起源はひとつだということだ。ふたたび、「アダムの呪い」から引用しよう。

<しかし、当時暮らしていた男性は、アダムひとりではない。アダムと同時代に生きていたほかの男性の系図は、途中で途絶えたか、あるいは娘しか生まれなかったという理由で、とぎれてしまったことになる。アダムが生きていたのはほんの5万9千年前ということになる。1990年代後半、このことに注目する研究者はどこにもいなかった>
 
 天皇家の万世一系は神話だとしても、「アダムの物語」は現代科学が明らかにした信憑性の高い話である。天皇家の神話より、もっとスケールが大きくて、美しい物語、しかも科学によって実証された実話だと言ってもよい。

 サイクス博士は1989年にNDA遺伝子を古代人の骨から取りだすことに成功し、スイスで発見されたアイスマンのDNA分析を手掛けたことで有名だ。人類共通のただひとりの大いなる母親イブの存在を証明した前著「イヴの7人娘たち」も世界的ベストセラーになった。翻訳者の大野晶子さんが「あとがき」にこう書いている。

<サイクス教授は、人類を「〜人」というグループではなく、個々の人間としてとらえることが肝心だと考えている。なにかと争いごとの多い世の中だが、顔つきや肌の色が違っても、信じる宗教は違っても、人類はみなきょうだいであり、その証拠がじっさいからだに刻まれている。この事実が、とげとげした人々の心に少しでも影響を与えられれば、教授にとってそんなうれしいことはないだろう>


橋本裕 |MAILHomePage

My追加