橋本裕の日記
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2006年02月19日(日) オリバー・ツイスト

 昨夜、映画館へポランスキー監督の「オリバー・ツイスト」を観に行ってきた。映画はチャールズ・ディケンズ(1812〜1870)の同名の小説を映画化したもの。デケンズはこの小説を1836年に完成した。

 舞台は1800年代初期のイギリスである。ビクトリア王朝が世界を制覇するなかで、庶民の暮らしはどん底に落ちていた。主人公のオリバー・ツイストは孤児院で育ち、救貧院に身を寄せたりしていたが、やがて葬儀屋に売られる。

 奉公先の葬儀屋での生活に絶望して、7日間歩いてロンドンにやってくる。そして盗賊団の少年たちと一緒に貧民窟で暮らし始める。首領のフェイギンは物欲しか頭にないみすぼらしい老人だが、何だか全身に哀れを感じさせる存在だ。

 「オリバー・ツイスト」は何度も映画化されているらしいが、私が観たのはキャロリ・リード監督のミュージカル作品で、孤児のオリバー役を演じていたマーク・レスターがとても可愛かった。高校生の私はこのときディケンズが好きになり、「デヴィッド・カパフィールド」や「クリスマス・キャロル」などの小説を文庫本で次々と読んだ。

 今私の手元に、そのとき買った 「オリバー・ツイスト」(新潮文庫上下各130円)があり、それを読み返しながらこれを書いている。小説はこんな風にはじまっている。

<いろいろの理由からして、ここではその名を云わない方がよかろうと思うし、また。仮りの名をつける気にもならないから、ある町と云うことにしておくが、そうした町の公共施設の中には、町の大小にかかわらず、どこにも昔からある、一つの建物があるものだ。それは救貧院である>(中村龍三訳)

 ディケンズは孤児ではないが、少年時代に父親が破産して、両親が債務者監獄に収監され、彼も12歳で独立し、靴墨工場で働いている。工場では粗暴な少年たちにずいぶんいじめられたらしい。そうした体験が彼の作品に独特の影を落としている。

 彼はそうした環境の中で苦学して法廷の速記者になり、やがて片手間にエッセーを書いて雑誌に投稿し始める。ロンドンの下町社会を舞台に展開する弱者に視点をおいた心温まる作風は大きな反響を呼び、彼はみるみる名声を博して、サッカレーとともにビクトリア期を代表する作家になった。彼の墓碑銘が彼の作家としてのありかたを簡潔に語っている。

「He was a sympathiser to the poor, the suffering, and the oppressed; and by his death, one of England’s greatest writers is lost to the world」

(故人は貧しき者、苦しめる者、そして虐げられた者への共感者であった。その死により、世界から、英国の最も偉大な作家の一人が失われた)

 オリバー・ツイスト少年はデケンズの分身なのだろう。過酷な環境に身を置きながら、少年は魂の純潔さや美しさを失わなかった。物語の終わりの方で、監獄に捕らえられ縛り首になるのを待っているフェイギンのもとにオリバーがやってくる。老人は錯乱してオリバーに自分をここから逃がすように訴える。

<おお、神様、この気の毒な人をゆるして上げてください>

 オリバーは老人を抱擁し、神に祈る。盗賊の首領の老人は社会からすれば犯罪者だが、路上で行き倒れ寸前だったオリバーにとって、かけがえのない命の恩人なのだ。オリバーが監獄を訪れたのも、老人にこのことを感謝するためだった。老人の為に涙を流して神に祈る少年の姿は、この物語の白眉である。

 映画が終わった後、隣の座席のカップルの一人が、「イギリスにもあんな時代があったのね」と言うのが聞こえた。しかし、これはほんとうに昔の時代の物語だろうか。今も世界のありこちにフェイギンとともにたくさんのオリバー少年が生きているのではないだろうか。

 ポランスキー監督が描きたかったのは、昔の時代の物語ばかりではなかったはずである。日本では「格差」論議がやかましいが、世界がどんなひどい格差社会になっているか、この映画を見ながら考えてみてはどうだろうか。


橋本裕 |MAILHomePage

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