橋本裕の日記
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アメリカ社会で「過労死」が増えているそうである。ホワイトカラーのなかには、朝8時から5時までの正規の勤務を終えて帰宅した後、また夜出社して仕事をする人もいるそうだ。「KAROUSI」という言葉がアメリカでも流行し始めたらしい。そのような題の本が出版され、売り上げを伸ばしているという。
<競争の哲学によって汚染されるのはひとり仕事のみではない。同じように余暇もまた毒される。静かな、神経を回復させるような種類の余暇は退屈なものと感じられるに至った。そこにいやでも現われざるを得ないのは、絶えざる速度の増進であり、その当然の結末は薬品の使用と気力喪失以外にはないだろう。均衡のとれた生活の理想として健全かつ静かな享楽を認めること、これ以外に治療法はない>
これは1930年にラッセルが書いた「The Conquest of Happiness」という本からの引用である。「薬品の使用と気力喪失」、そして「過労死」が、グローバリズムの進むアメリカや日本でこれからますます増えていくことだろう。
その一方で、閑暇に絶えられない若者や大人が増えている。とくに、「実りある退屈」(ラッセルの言葉)に耐えられない若者たちの群れがこれから大量生産されていくことだろう。以前北さんが書いてくれた文章を引用しよう。
<ゆっくりとしたメロディより激しいリズムを好み、陶酔させてくれるような音楽でないと聴きつづけられないような若者が多くなっているのではないか。ひっきりなしに携帯電話をいじり、状況が変化しないと退屈でいたたまれないような若者たちの増加>
道元は「正法眼蔵、有時の巻」で、「時は飛去するとのみ解会すべからず。飛去は時の能のみとは学すべからず。時もし飛去に一任せば、間隙あるぬべし」と書いている。時はただ変化するためにあるのではない。過去から未来へと過ぎ去っていくだけもののでもない。それだけのものだったら、「間隙(ひま)」などなくなってしまうだろう。
そうではなくて、「時には経歴(経験)という功徳がある。時は今日から明日へ流れるが、今日から昨日にもながれる。そして、今日から今日へも流れるのだ」と書いて、「一大事とは只今現在のことなり」と喝破している。今という時間が大切なのだ。
ビンスヴァガーによれば、分裂病の人の特徴は「諸事物のなかに静かに逗留できない」ということにあるそうだ。そして、現代人のほとんどは、分裂病に冒されているのではないかと書いている。分裂症の特徴は「ひま」を持つことが出来ないということだ。そして私たちもつねに消費社会の「騒音」のなかに身を置いている。しかしそうした生き方は本当に生産的なものを生み出さない。ピカートはた「沈黙の世界」のなかで、こう書いている。
<一人の人間の内部にある沈黙は、その人間の生涯を超える。そしてこの沈黙の中で、人間は過去及び未来の世代につながっている。……沈黙は、いわば太古のもののように、現代世界の騒音の中へと聳え立っている。死せるもののようにではなく、沈黙は一個の生きた太古の生物のようにそこに蟄居している。今なお沈黙の巨大な背はそこに見える。しかし、この太古の生物のすがた全体が、現代の満目騒音のみの藪林のなかで、刻々沈みゆきつつある。それはあたかも、この太古の生物が、次第に自己自身の沈黙の深みの中で姿を消し去ろうとしているかのようだ。
にもかかわらず、今日のあらゆる騒音も、しばしば、この太古の生物――他ならぬ沈黙の――巨大な背の上にとまっている昆虫の羽音にすぎないように見えることもまれではない。……太古の言葉は、つねに一つの中心から始まることによって、放射状にかたちづくられている。そして、この中心が他ならぬ沈黙である。古代の言葉は繰り返しこの沈黙という中心に帰り、あらためてこの中心から始まるように出来ていた>(沈黙の世界)
「沈黙」は仏教の「無」に通じている。「色即是空、空即是色」の「空」だと言ってもよい。それは「虚無」ではなく、ゆたかな創造の母胎としての「無」であり「空」である。古代の言葉が美しいのは、それが人間の魂の奥深いところから生み出された言葉だからだ。万葉集を読むたびにこのことが実感される。
ほんとうに豊かなものは時間に追われた生活の中にはない。幸福な生活は、そのアクティブな活動のさなかにあっても、閑雅な「しずけさ」を伴うものである。その静けさの中で、ほんとうに価値のあるものがゆっくりと成熟する。最後に吉田兼好の「徒然草」から引用しておこう。
<身死して財残ることは、智者のせざるなり。よからぬもの貯へおきたるも拙く、よきものは心をとめけんとはかなし。こちたく多かる、ましてくちをし。「我こそ得め」などといふものどもありて、後に争ひたる、いと様あし。後はたれにと志す者あらば、生けらんうちにぞ譲るべき。朝夕なくてかなはざらんものこそあらめ、そのほかは、何も持たでぞあらまほしき>(第40段)
<つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるるかたなく、ただ一人あるこそよけれ。世に従へば心の外の塵にうばはれまどひやすく、人に交はれば、言葉よその聞きに従ひて、さながら心にあらず。人にたはぶれ、ものにあらそひ、ひとたびは恨み、ひとたびは喜ぶ。その定まれることなし。分別みだりに起こりて、得失やむ時なし>(第74段)
<おほかたよろずのしわざはやめて、いとまあるこそ、めやすく、あらまほしけれ。世俗のことにたずさはりて生涯を暮らすは、下愚の人なり>(第151段)
<筆をとれば物書かれ、楽器をとれば音をたてんと思ふ。盃をとれば酒を思ひ、さいをとれば双六打たんことを思ふ。心はかならずことにふれてきたる。かりにも不善のたはぶれをなすべからず。あからさまに聖教の一句を見れば、何となく、前後の文もみゆ。卒爾にして多年の非を改むることもあり>(第157段)
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