橋本裕の日記
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2003年07月14日(月) あかね雲

22.わかれ道

 翌朝、物理学部の玄関の前に、第一次の合格者が貼りだしてあった。二百人を越える受験者が三分の一に減っていた。私の番号があった。午前中に英語とドイツ語の試験があり、昼食のあとに第二次の合格発表があった。四十人ほどの中に私の番号が残っていた。

 午後から二回の面接を受けた。五、六人の試験官を前に、黒板で問題を解いたり、実験の方法を説明したりした。
「光電効果の実験からプランク定数が求まります。光電効果というのは、光の量子性を示すもので……」
 私は自分でも不思議なくらい落ち着いていた。

 二回の面接試験を終えて、三回目の面接に進むメンバーの発表があった。意外なことに十数名ほどのなかに私の番号がなかった。悔しかった。物理学科の建物を出ると、もう秋の日差しが傾いていた。名古屋でさらに一泊することにして、来合わせたバスに乗った。

 その夜、ビジネスホテルのベッドに横たわっていると、さすがに気が滅入り、不安が押し寄せてきた。この不況に二年も留年した学生を雇ってくれる企業はなかった。
(新聞専売所に就職するしかないのか)
 両親は私が大学か高校の教師になるか、名前の通った企業に就職してくれることを望んでいるに違いない。いろいろ考えていると、眠れなくなった。

 私は持参した万葉集を広げて読み始めた。そして犬養博士の朗らかな節回しを真似て、歌を朗読した。そうしているうちに心にまた活力が戻ってきた。新聞配達をしながら、もう一年大学に残って学問の道に挑戦しようという気力がいくらか甦ってきた。

 翌朝、ホテルで朝食を済ませた後、大学に足を運んだ。掲示板に最終的な合格者が張り出されてあった。何気なくそれに目をやった。自分の番号があるのに驚いた。
(昨日は無かったはずだが、どうしたのだろう)

 事務で確認すると、二回の面接で合格した者は三回目の面接が免除される仕組みになっているそうだ。私は事情が分からずに、不合格になったものと早合点したのだった。晴れやかな気持で大学の構内を歩き、バスに乗った。帰りの汽車の中で熟睡して、金沢で乗り越すところだった。

 翌日、大学で弘子に会った。彼女は金沢大学の大学院も駄目だったという。もう一年大学に研究生として残るつもりのようだった。


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