橋本裕の日記
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2003年07月12日(土) 新憲法と国体

 1946年6月20日、天皇は臨時国会の開会を宣言し、翌日、新憲法が国会に正式に提案された。新憲法採択についての国会審議は両院本会議や委員会で、合計114日を費やして行われた。国会審議の筆記録は最終的に3500ページを超えるものになった。

 そのなかでも、国会議員の最大の関心を集めたのは「新憲法によって国体は変更されたのかどうか」という点だった。この問題に対する政府の当初の見解は「絶対に変更はない」というものだった。たとえば吉田茂首相はこう答弁した。

「天皇家と国民の間に区別は全くないのであります。天皇と臣民は一つの家族である。国体は新憲法によってほんのわずかの変更も被ることはない。日本古来の精神や思考が新憲法では異なる言葉を用いて表現されているに過ぎません」

 こうした国会答弁に対して、GHQ民政局のケーディスは「憲法が人民主権を断固として守るものである」ことを明確にすることを要求した。その結果、新憲法の草案ではsovereigntyを「至高」と訳していたのが、正しく「主権」と表現されることになった。それでも日本側は国体の変更についてはこれにできるかぎり抵抗した。さらにpeopleの訳として「人民」ではなく「国民」をあてた。

「憲法改正の第一章は、万世一系の天皇が国民至高の総意に基づき、天壌と共に永劫より永劫のわたり国民を統合する君主としての地位を確保せらることを明記したものであります。かくて天皇は国民の中にありながら、自ら実際政治の外に立ち、しかも国民生活の中心、精神的指導力としての権威を保有せられたる厳然たる事実を確認し得たることは、委員の絶対多数が歓喜を持って迎えた所であります」(芦田均委員長による衆議院憲法改正小委員会最終報告)

 こうした情況をGHQの民政局が座視していたわけではない。結局国会は政府の6月草案にたいしておよそ30の修正案を可決した。普通選挙法、総理大臣や内閣閣僚の半数以上が国会議員であることなどを含む立法府の優位、華族制度の廃止など、国民主権と民主主義の実現にとって重要な変更もいくつかなされた。さらに旧憲法とくらべて、民主主義にとって大切な変化、それも一番目に付きやすい改革が行われた。それは新憲法が口語体で書かれたことである。

<当時、憲法も含めた法令や文書は、一般国民にはおよそ近づきがたい文語体で書かれていた。四月半ば以降、政府が提出する文章が口語体で書かれることになったのである。これはたんに象徴的変化であっただけではなく、実際的な意味でも大きな変化であった。つまり法律も公文書全般も、特権的なエリートのものとは見なされなくなったということである>(ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」)

 この言語改革は政府から出たのでも、GHQの指令でもなく、当時言語改革のためにロビー活動をしていた学者や知識人がイニシャティブを発揮した成果だという。こうして新憲法は衆議院では421対8で可決された。反対票のほとんどは共産党の議員によるものだった。

(「何でも研究室」のなかに、「『敗北を抱きしめて』を読む」をUPしました。これまで日記に連載した文章がまとめてあります。なお、戦後のGHQの検閲についてあと数回ほど書いて、この連載を終わらせたいと思っています)


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