橋本裕の日記
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2003年07月06日(日) 生きること死ぬこと

 ホッファーを読んでいて、またモンテーニュ(1533〜1592)の「エセー」が読みたくなった。彼が生きた時代はカトリックとプロテスタント(ユグノー)が殺戮を繰り返す宗教戦争の時代だった。モンテーニュはカトリックだったが、彼の弟と妹は共にユグノー教徒だ。しかし、彼においては宗教上の違いが個人的な対立にいたるようなことはなかった。

 彼の友人にはカトリックの正統主義者の他に、プロテスタント教徒、カトリックの過激主義者もいた。しかし、宗派やイデオロギーの違いによって彼は友情に差を付けることはなかった。かれにとって大切なのは「人間がしあわせに生きること」であって、そのために人がどのような宗教を選ぼうとそれは本人の自由だと思われたからだ。

<要するに、神の諸性質を打ち立てるのも、取り壊すのも、すべて人間が自分との関係に基づいてでっちあげることである。何というひな型、何というお手本であろう>

<世間の規則や教訓の大半は、社会全体の奉仕のために、我々を我々から外に押し出し、公共の場に追いやるのである。我々は生れつき我々自身に執着しすぎるものときめてかかるから、我々を我々自身からそらすことは立派な行為と考えたのである。そしてそのために有らん限りのことを言ってきた。実際、賢者にとって、物事をありのままにではなく、役に立つように説くことは珍しいことではない>

<人間は必然的に間違うように自らに命じている。自分の義務を自分以外の人の寸法に合わせて裁断することはあまり賢いことではない。誰にもできないと思うことを、いったい誰のために規定するのか。不可能なことをしないのは、その人にとって不正と言えるだろうか。われわれを不可能に縛る法律自身が、われわれを不能なるが故に告発するのである>

<結局、我々の経験から、人間の社会は、どんな犠牲を払っても、互いに結び合い、縫い合わされるものであることを知った。人間はどんな状態に積まれても、揺すぶり合いと押し合いを続けているうちに、きちんと並んで積み重なる。ちょうど袋の中にごちゃごちゃに入れた不均な物体が、ひとりでにくっつき合い組み合わさる方法を見いだし、時には人為でできるよりもうまくできるのに似ている>

<理論からではなく、実際から言って、各国民にとって最も優れた良い政体とは、国家を維持してきた政体である>

<人一倍能力があると公言し、学問の仕事や書物に関係のある職務にたずさわる人々には、他のいかなる種類の人々にも劣らず、判断の空虚さと無力さが見られる。これは彼らが人一倍期待をかけられて、普通の過失を許されないからか、それとも、学識があるという自負からかいっそう大胆になり、人前に自己を誇示するあまり、自滅して馬脚を現すからであろうか>

 彼がこうした現実的で醒めた思想をもっていたのは、彼がラテン語の達人で、ギリシャ・ローマの歴史や古典文学に造詣が深い第一級の教養人だったからだが、それ以上に大切なのは、彼は同時に地方や中央の政界に人脈を持つ実務家であり、世俗的な実践の人だったということがあげられよう。

 彼はボルドーの高等法院の参議(治安判事)の職を13年間務め、さらにはボルドーの市長も2期つとめている。しかも、ボルドーの属していたギエンヌ州はフランスにおけるプロテスタンティズムの拠点だった。

 モンテーニュはその経験や立場上、イデオロギーというものの厄介な性格をだれよりもよく熟知していた。そしてその毒を抜くために彼が注目したのが、人生をその本質において考えること、すなわち「死を通して生を考えること」だった。彼の人生哲学の中心テーマがまさにこれである。「エセー」から引き続き文章をいくつか引用しよう。

<我々は事情が許すかぎり、いつでも靴をはいて出かける用意をしていなければならない。特にその時には、自分のこと以外には何も用事がないようにしておかねばならない。なぜなら、死ぬときになれば余計なことを考えなくても、なすべきことが充分にあるだろうから。ある者は死によって輝かしい勝利が途中で中断されることを嘆き、ある者は娘を嫁がせないうちに、あるいは子供の教育を見てやれないうちに死ぬことを嘆く。

  私はありがたいことに、いつでも何も哀惜せずに、死ねるような気持になっている。もっとも命だけは別で、それを失うことが私の心を重くするのはなんとも仕方がない。私は全ての絆から解放されている。私自身を除いて、皆に半はお別れしている>

<ローマの貴族ユリウスは、カリグラ帝に死刑の宣告を受け、いよいよ獄卒の手にかかろうという時、友人に心の状態を尋ねられ、「私は今、気持ちを整え、全力を緊張させてあっという間に過ぎる死の瞬間に、果して精神の引越しをいくらかでも少しでも認めることが出来るかどうか、見届けようとしている。そしてそれについて何かを知ったら、出来れば戻ってきて、知らせてやりたいと考えているところだ」と答えた。この人は死ぬときまで哲学したばかりではなく、死そのもののなかで哲学している>

<もしも、生まれた土地以外の場所で死ぬことを恐れるなら、また、家族の者から離れては安心して死ねないと考えるなら、フランス国外へは出ていかれないだろう。だが、私は人と違っている。死はどこにおいても、私には同じである。だが、もし選べるものなら、床の中よりも馬の上で、家の外で、家族の者たちから離れたところで死にたい>

<神様から少しずつ生命を取り上げられてもらえる人々は、恩恵に浴している人々である。これこそ老齢の唯一の恩恵である。この最後に来る死はそれだけ無害なものであろう。この死は、その人間の半分か4分の1しか殺さないからである。今も私の歯が1本、痛みも苦労もなく抜け落ちたところである。これがその歯の自然の寿命だったのだ。私の存在のこの部分もその他の多くの部分もすでに死んでいる。また、私の盛りの頃に技も活発で第1位を占めていたあの部分も半分死にかけている。私はこうして溶けて、私から抜け出て行くのである>

 モンテーニュの「エセー」は宗教をかなり便宜的に捉えている。彼は宗教は人間が幸福に生きるための一つの手段でしかないと考えているからだ。現代におけるモンテーニュ研究の第一人者であるG.C.ホーマンズは「モンテーニュと現代社会」という講演の中で、「エセーが出てから1676年まで、なぜカトリック教会の禁書に挙げられなかったか分かりません。生存中モンテーニュが無事であった原因は、彼がその外面において信仰を順守し告白して誠実にカトリック教会に連なっていたことにあるのかもしれません」と述べている。

 20世紀はまさにイデオロギー対立の時代だった。共産主義陣営が崩壊し、冷戦が終了したが、まだざまざまな対立の中で私たちは生きている。こうした時代の中で、モンテーニュの叡智から私たちはまだまだ多くを学ぶことができる。

(参考文献) 「エセ−」 原二郎訳  岩波文庫(全6巻)


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