橋本裕の日記
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エリック・ホッファーはプライドや信仰心は恥辱や弱さから生まれるものだという。また、絶対的権力や服従といったものも、人間の卑小さや弱さから生まれる。情熱や熱狂の根底に潜んでいるのは、「自己からの逃避」だという。
<人間とは、まったく魅力的な被造物である。そして、恥辱や弱さをプライドや信仰に転化する。打ちひしがれた魂の錬金術ほど魅力的なものはない>(「魂の錬金術」以下の引用も同じ)
人はしばしば自己への軽蔑をプライドに、自身の欠如を信仰心に、そして罪悪感を独善にかえる。ホッファーはこれを「信念の錬金術」だと言っている。価値のない忌むべきものから、黄金がうまれる。しかし、この黄金はじつのところ、まがいものである。うわべだけ金に似ているが、それは中身まで純金というわけではない。
<自尊心に支えられているときだけ、個人は精神の均衡をたもちうる。・・・何かの理由で自尊心が得られないとき、自立的な人間は爆発性の高い存在となる。彼は将来性のない自分に背を向け、プライド、つまり自尊心の爆発性代替物の追求に乗り出す>
<自尊心が自身の潜在能力と業績から引き出されるのに対して、プライドはもともと彼らの一部でないものから引き出される。架空の自己、指導者、聖なる大義、集団的な組織や財産に自分自身を一体化させるとき、われわれはプライドを感じる。プライドは不安と不寛容によって特徴づけられ、敏感で妥協を許さない>
<ナショナリストがもつプライドは、他のさまざまなプライドと同様、自尊心の代用品になりうる。ファシズムや共産主義体制下にある民衆が盲目的愛国心を示すのは、彼らが個々の人間として自尊心を得ることができないからである>
<信仰と恐怖はともに、人間の自尊心を一掃するための手段である。恐怖は自尊心の自立性を破壊し、信仰は多かれ少なかれ自発的な幸福を勝ち取る。両者がもたらす結果は、人間の自立性の除去、すなわち自動機械化である。信仰と恐怖は、人間の実存を意のままに操作できるひとつの定式にしてしまう>
<実りある成果をあげたければ、情熱を薬味として限定的に使うことだ。自分の母国や人種に対するプライド、正義や自由、そして人類などへの献身を、人生の主要部分にしてはならない。せいぜい伴奏か、付属品にとどめるべきである>
<真に「持てる者」とは自由や自信、そして富さえも、他人から奪わずに獲得できる人たちのことである。彼らは自らの潜在能力を開発し適用することで、これらすべてを獲得する。これに対して、真の「持たざる者」とは、他人から奪わなければ何も得ることができない人たちである。彼らは他人から自由を奪うことによって自由を感じ、他人に恐怖心と依存心を植えつけることによって自信を深め、他人を貧しくすることによって裕福になる>
<ある国の政府や生活様式を判断する唯一の指標は、そうした活動の基盤をなす国民の質である。政府の掲げる目標がいかに高貴であろうと、それが国民の品位や親切心をくもらせ、人間生活を安っぽいものにし、悪意や猜疑心を育むなら、その政府は悪である>
ホッファーが思索を始めたきっかけは、彼の両親の出身地であるドイツがナチスを受け入れたことへの疑問からだという。さらに彼の関心は共産主義の全体主義に向けられる。何がナチスを生み出し、共産主義の恐怖政治を生み出すのか。この問題を人間の魂の次元から解明しようとしたところに、彼の政治哲学の独創性がある。哲学者バートランド・ラッセルをうならせ、社会学者ハンナ・アレントをホッファーに走らせたのはこのためだった。
ホッファーが達した結論は、人間に必要なのは服従やプライドではなく、自由と自尊心であるということだった。そして高貴な美徳ではなく、より身近な「おもいやり」こそが「魂の唯一の解毒剤」であり、「高邁な理想に身を捧げた無慈悲な人よりも、玩具に夢中になっているが、同情心をもちうる人に世界をまかせたほうがよい」と書いている。
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