橋本裕の日記
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2003年07月04日(金) あかね雲

19.雪のつばさ

 この年の十月六日、イスラエルとエジプト・シリアの間で第四次中東戦争が勃発した。石油や灯油の価格はみるみる値上がりし、いわゆる第一次石油危機が始まった。全国各地のスパーマーケットでトイレットペーパーや洗剤が品切れになり、殺到した主婦等が売場で将棋倒しになると言う騒ぎまで起こった。

買いだめは砂糖や塩にまで及び、日本中がパニックになった。国際収支も六年ぶりに赤字になるなど、世の中は一転して不況ムードに覆われた。そして小松左京の「日本沈没」という本がベストセラーになった。

 人手不足の専売所にも、新人が採用された。謡のお師匠さんだという中年の男性で、本人は朝の運動のためだと言っていた。こうした中で、私は朝刊の配達をその年で止めることにした。来年の春には四年生に進級しなければならない。そして是非大学院へ進学したいと思った。

 十二月に入って、雪になった。雪の晴れた午後、図書館からの帰り、大手堀から兼六園へいく辻にある広場まで来た私は、その中央に置かれた白鳥のブロンズ像に目を留めた。翼の上に雪を置いたまま、白鳥は今にも空に飛び立とうとしていた。

 この道を毎日歩きながら、はじめて私は白鳥の荒々しい美しさに心を奪われた。たしかにそれは単なる美しさではなかった。白鳥の目が見つめているのは、この世とは全く別の、何か得体の知れない不気味な世界のように見えた。
(美しきもの見し人は……)
 私は心の高揚を覚え、思わず口ずさんだ。その猛々しい白鳥のように、私も強靱な想像力の翼を広げて、果てしなく荒涼とした世界をどこまでも飛翔したいと思った。

 大晦日の夕方、最後の朝刊を配り終えた後、専売所の忘年会に出た。私の他に謡の師匠や専従のDさんとNさんがいつものように招待されていた。芳子も二日前に帰省していて、一緒に食卓を囲んだ。

 私は時々芳子と目を合わせた。内灘の砂丘を一緒に歩いて以来、私たちは二人きりで会ったことがなかった。
 芳子は私に熱燗の日本酒を勧めながら、
「お正月は福井に帰られるのですか」
「ええ、これから帰ります」

 その夜、私は去年のように泥酔しないで、早めに店を出た。そしてその足で、金沢駅まで一時間近く歩いた。寒い道を私は闇雲に歩いてみたかった。


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